ピアソラとロビーラの《シンプレ》が同じ曲にきこえない件

わたしの酷愛する名ピアニスト、オスバルド・マンシのアルバム《視聴覚のタンゴ》を聴きました。彼のピアノと、ルベン・ルイスのエレキ・ギター、ベニーニョ・キンテーラのコントラバスによるトリオ編成で、十曲中三曲に歌が入っています(エクトル・モラーノ)。録音は一九六六年。*1

面白いのが曲目で、マンシの自作が四曲あるのは順当として、ピアソラ《アディオス・ノニーノ》《天使のミロンガ》、そして、アルバム《タンゴ・バンガルディア》などで共演したエドゥアルド・ロビーラのコントラプンテアンド》という、ゆかりの深い音楽家の作品が取り上げられています。

ピアソラのグループにはたびたび呼ばれていたマンシですが、上記二曲を弾いた録音はたしかなかったのではないでしょうか。特に《アディオス・ノニーノ》のピアノ・ソロは泣けてくるよなすばらしさ。好き嫌いでいえば、ゴーシス、アミカレリ、タランティーノ、シーグレル……の誰よりもわたしはこの人のピアノを買いたいです(マンシの演奏でカデンツァも聴きたかったなあ)。

ちなみにロビーラの楽曲は前掲アルバムにも収録されていたものですが、実はマンシはそこで仲間はずれをくらっていたりします。*2きっと、自分でも弾いてみたかったんでしょうね(笑)

……というヨタ話はさておいて、個人的にもっとも注目していたのは自作曲《シンプレ》の演奏です。というのもこの曲、ピアソラ*3とロビーラ*4のふたりにもとりあげられているのですけど、コレが同じ曲をやっているとは到底思えないくらいアレンジが大違いなのです(いずれの演奏でも、ピアノを弾いているのが作曲者のマンシであるにもかかわらず、です)。これはどっちのアレンジがより原作をイジってるんだろう、という疑問がわたしのなかで長らくわだかまっていたのでした。

今回、自作・「自編」(たぶん)・自演を聴いて分かりました。原曲クラッシャーはピアソラだったのです――

ロビーラの編曲は、基本的に旋律線やリズム・パターンは原曲どおりですが、ピアソラはというと、一見好き放題とも思われる換骨奪胎ぶり。アグリのヴァイオリン・ソロが歌いまくる長いながーい序奏を聴いただけで何の曲かわかるひとがそうそういるとは思えません。*5一分四十秒すぎに、ようやく聴き覚えのあるフレーズがでてきますがそれも一瞬で、リズム・パターンこそオリジナルに準じているものの、展開はすっかり「ピアソラ風」。じつはよくよく聴くと旋律はたしかに《シンプレ》のそれなのですが、出てきたその瞬間から原型をそれと判断するのが難しいくらいデフォルメしています。

換骨奪胎もここまで徹底すると、一本とられたというか、開いた口がふさがらないというか……この調子でスタンダード・レパートリーをやられて激怒したタンゲーロの気持ちがちょっとだけ分かるような気もしました(笑)――マンシの自編を知ったうえでピアソラ盤を聴くと、このアレンジのキモが、おそらく、「シンプル」な曲をどれだけ複雑に料理できるか、という一種の悪戯心にあったことがよーく分かるでしょう(ああ、ピアソラのドヤ顔が目に浮かぶようだ……)。

そして、ロビーラのアレンジのみごとさにはあらためて感心させられました。整然とした三部形式で、スピード感のある主部と瞑想的な中間部のコントラストが鮮やか。七重奏のポテンシャルを出し切った壮麗な響きも、キンテートより大きいフォーメーションになると手を余しがちだったフシのあるピアソラを刮目させるに十分でしょう(笑)。すべての要素が結晶しつくしており、ひとことでいえば、完璧にカッティングされた宝石を思わせる出来です。これと比べてしまうと、さすがにマンシ自らのアレンジも、みごとなピアノ・ソロをきかせんがための「単純」な構成に感じられてしまうかもしれません……

ところで、ピアソラとロビーラの演奏でもう一曲、まるで違ってきこえるものがあります――オスバルド・タランティーノ《悲しき街》です。作曲家自編を知らないのでなんともいえませんが、これに関しては、ロビーラのほうが改変度(それとも、「脱タンゴ」度とすべき?)高いような気が……ホントはどうなんでしょうね。

*1:ところで、この復刻CDを聴くかぎりでは、このアルバムのどこがどのように「視覚」に訴えかけるのか、わたしにはわかりませなんだ(^^;

*2:バンドネオン、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの五重奏による演奏。

*3:《われらの時代》所収、キンテート編成による演奏、一九六二年。

*4:《タンゴ・バンガルディア》所収、七重奏による演奏、一九六三年。

*5:そういえば、ゴジェネチェとのジョイント・リサイタルでも、ピアソラバンドネオン序奏だけだと観客は何の曲かまだ分からず――さんざんおねだりしまくってた《氷雨》なのに!――ゴジェネチェの第一声でそれと知ってキャーキャー歓声をあげていたりしましたっけ……