2007-01-01から1年間の記事一覧

フーガと神秘

ひさびさに可穂様の新作を読みました。といっても別に新しいことはない『フーガと神秘』です。野性時代の中山可穂特集号(二〇〇六年十一月号)に掲載されてました。うーん……ネタバレになりそうなのでまどろっこしい書き方しかできませんが、わたしは、自分…

マンシ

コンフント9といえばタランティーノ、というくらいその印象は圧倒的で、勢い前任者のマンシの影が薄くなった気味がありますが、一枚目のアルバムを聴いて、わたしはあらためてこのピアニストの魅力に酔いしれる思いでした。マンシは、蓋しピアソラ楽団のピ…

愕然

北欧ものと同じくらいゴロワノフから遠い位置にあるのがモーツァルトの音楽でしょう。そんなレパートリーに限ってきちんと録音があるのがゴロ道の無間地ご……いやいや醍醐味というものです。曲はレクイエムですぜ。聴いてる方が死にそうです。ゴロワノフはキ…

信憑性ゼロ

トシを取ると「時間が惜しい」と思うことが多くなります。ひとつには自分に残された時間には限りがあるのだという当たり前の事実が生々しく感じられるようになったためであり、億劫がりになるためでもあると思われます。要は、『○○を××するには人生は短すぎ…

スプラッターなグリーグ

さすがはゴロ。ペール・ギュント組曲の埋め草に入っている小品がけっこうキてました。例によって爽やかさだのひんやりした肌触りだの、愛らしさや繊細な情感などと云った要素はこれっぱかりも感じさせません。『秋に』のリズム処理たるやドのつく演歌だし。―…

ロシアつながりで

スヴェトラーノフと云えば爆演野郎として名高いですが、リヒテルのこの人に対する評価は、あまりよくない意味で才人指揮者、というものでした――多くの人にとっては意外なことかもしれません。実は、ローマ三部作やスクリャービンの交響曲を聴いてきた限りで…

こんなんもあります

オイストラフとオボーリンとクヌシェヴィツキーの三人がソロを務めたベートーヴェンのトリプル・コンチェルトがありますが、よくよく見たら指揮者がゴロワノフでした。……いやーブラインド・テストされたらまずゴロワノフって分かりませんねわたしには。同じ…

マーラーを超えた漢、ゴロワノフ

ゴロワノフのシェヘラザードといえば、オイストラフです。コンマスのヴァイオリン独奏がどうしてもお気に召さなんだゴロワノフが「オイストラフを呼べ!」と無理難題を云ったとか。マーラーが第八交響曲の初演に際して義弟のロゼーにコンマスを任せようと思…

実は

まっとうに良い演奏だったりするのが、ゴロワノフのスクリャービンです。この指揮者がただの変人ではなかったことがよく分かると云うもの。今回はプロメテウスを聴きました。わたしの手持ちのDANTE盤には一九四七年録音とありますが実際は一九五二年録音らし…

思えば遠くへ来たもんだ

ちなみに一八一二年もゴロワノフしか架蔵盤がありません……というかゴロワノフ以外でこの曲を聴く意味があるのでしょうか。いや、ない!(断言)大砲以上にデンジャラスな何かが乱れ撃ち状態のゴロワールドです。たぶん、他の演奏聴いて最後にロシア帝国国歌…

逸般人向き

三大ゴロといえば 展覧会の絵 一八一二年 ボロディンの第二(昔マルチソニック盤を聴いた) で決まりかと思いますがその塁を摩するかと思われる豪演のひとつが悲愴です。これまでさんざん地獄だ悶絶だと書きたててきましたがゴロワノフの持ち味の一つとして…

ペール・ギュント

というわけである意味もっともゴロワノフから遠い位置にあるといっても過言ではない北欧音楽ですが、しっかりゴロ調に塗りこめられています。不慣れなレパートリーやるときは借りてきた猫みたいに大人しい演奏家ってけっこう多いのですが、この迷いのなさ!…

カミングアウト

まあ、何のかのと云って、オケ版の展覧会の絵はチェリ様とゴロワノフでしか聴かない、というくらいにはゴロワノフも好きだったりします。チェリ様の展覧会はムソルグスキーもラヴェルも超えた至高にして超絶の音世界ですがゴロワノフはステレオタイプにもほ…

いくらなんでもヤバい

スヴェトラーノフの『メロディー』というCDを聴きました。意外と普通かも。オーセの死とか、ゴロワノフはムチャクチャ熱かったもんなあ……………………………………………………………………………………うちにペール・ギュントのCDはゴロワノフしかなかったことが発覚しました。なんてこっ…

幻想曲ちがい

初期スクリャービンと云うとショパンの亜流と悪し様に云う人もありますし、後年の神秘主義の使徒とはまるで別人のようであることは否定できませんが、だからこそ中後期とはまた違った初期ならではの魅力があるとわたしなどは思います。スクリャービンの有名…

反時代的ひとりごと

詩人のパステルナークはスクリャービンにも稽古をつけてもらったことがあるとか云うくらいできわめて高い音楽の趣味の持ち主でしたが、シューベルトの音楽は素朴すぎると云って毛嫌いしていたそうで、パステルナークと同居していたわがスターシクはためにそ…

眼福

『ロシア・ピアニズムの黄金時代』シリーズではもう一枚、ゴリデンウェイゼルや大ネイガウス、ギンズブルグ、オボーリンに若き日のスターシクによる演奏が収められているものを視聴しました。泣く子も黙るふたりの大先生に関しては拝むことができただけで幸…

ホラー映画じゃあるまいに

待望のスタニスラフ・ネイガウスの映像が出ました。デンオンのエディション第十巻の解説で三代目のハインリヒ二世が≪スタニスラフ・ネイガウスを録音で聴くとき、またただ一つ残された彼のショパン演奏のビデオフィルムを見るとき、……≫と書いてましたが、こ…

イ長調ついで

もうちょっと色々聴いてみます。ブリュショルリは再評価の機運が高まりつつある名女流で先日来復刻ディスクが数枚リリースされていますが、そのうちのひとつ、モーツァルトの協奏曲集を聴いてみます。二十三番と、これもユーディナの演奏でおなじみの二十番…

牛肉(ヒツジの尻尾つき)

(承前)モーツァルトのピアノ協奏曲第二〇番は一九四八年録音で、ゴルチャコフ指揮ソヴィエト国立放送響との共演です。これも強烈に個性的で、無菌室育ちのモーツァルティアンには猛毒以外の何物でもない――かもしれない録音ですが、好き嫌いで云えばわたし…

羊頭

ユーディナといえば『ショスタコーヴィチの証言』中のスターリンとのやりとりが広く知られていますが、これが実はヴォルコフの作り話なのだそうです。もっとも、スターリンが所望したと云うモーツァルトのピアノ協奏曲第二十三番ですが、ユーディナが弾いた…

「あれに較べたら、グールドなんてかわいいものだよ」

ユーディナの演奏は何を聴いてもきわめて刺激的ですが、半音階的幻想曲とフーガはとりわけ凄まじいインパクトを誇る演奏のひとつと云えるのではないでしょうか。とにかく強烈で、獲物に襲いかかる虎のように猛々しい――と云っても言い過ぎにはなりますまい。…

ミュンヘンの第九

ミュンヘン盤を聴いてまず感じられるのは、かつての熱狂はもはや過去のものとなりにけりということでしょう。特に第一楽章。よそよそしいと云ってもいいくらいで、トリノ盤にひきかえ、チェリ自らの云う構成上のアラが却って耳につくような印象さえあり、さ…

今度こそ

第九といえばチェリ、という人はまずいないと思いますが―― チェリの第九には若いときのトリノ・ライヴとミュンヘン・フィルとの共演が遺されています。その間三十年かそこらの歳月を閲しているだけにさまざまな相違点があって、比較すると興味深いです。まず…

もうすぐ十二月ですね

というわけで第九ネタでも。クンデラの『存在の耐えられない軽さ』中に「俗悪なもの(キッチュ)」論があります――クンデラと第九に何の関わりがあるんだ、とお思いの方もおありでしょう。しかし、≪世界のすべての人びとの兄弟愛はただ俗悪なもの(キッチュ)…

ショパンのマズルカ

SP時代のレコード評論家野村胡堂あらえびすが当時「本場もの」として評価の高かったフリードマンのショパンを酷評していることは『名曲決定盤』の読者には申すまでもありますまいが、一方で、あらえびすはマズルカを目して「この程度の夢のない舞踏曲」には…

ベートーヴェンのチェロ・ソナタ第三番

(ここの続きです)コルトーとカザルスの一九五八年の共演を聴いていてまず感じるのは、カザルスのペースに合わせながらもコルトーが自らの音楽を存分に主張していることです。同じ魔笛変奏曲でも戦前と戦後では大いに印象が異なります――それだけ壮時のカザ…

たまには新譜ネタ

テンシュテット/ロンドン・フィルのブルックナーの第七交響曲を聴きました。この直前に凄絶な東京のワーグナー・アーベントのDVDに圧倒されたばかりということもあるでしょうが、少し期待しすぎたかなあ……これはテンシュテットの芸風からいえばある程度予想…

行き当たりばったり

いま、寝酒のニコラシカを三杯かっくらっていい感じに体が熱くなってきたところです。意識がなくなるのが先かポストし終わるのが先か、一発勝負にでてみます。というわけで今晩は、コルトーとギーゼキングを分かつものは何か、などと考えながら酒をかっくら…

コルトーのベートーヴェン(室内楽編)

コルトーのベートーヴェンといえば一昔前は戦前の室内楽録音を聴くことができるのみでした。これらのレコードが世間一般の「コルトーのベートーヴェン」観を形成したといえるでしょう。しかしながら、大公トリオなんか天下御免の名盤ですが、この場合全盛期…