幻想曲ちがい

初期スクリャービンと云うとショパンの亜流と悪し様に云う人もありますし、後年の神秘主義使徒とはまるで別人のようであることは否定できませんが、だからこそ中後期とはまた違った初期ならではの魅力があるとわたしなどは思います。

スクリャービンの有名でないほうの幻想曲はもともと二台のピアノのために書かれた曲らしいですがわたしの手持ちのCDではピアノと管弦楽のために編曲されています(ただし元来がピアノ協奏曲として構想されたらしい)。

のっけからB級っぽい響きで初演が作曲家の没後であったのも納得……しかけますが、初期スクリャービンならではの繊細なメロディーと悲劇の甘美さとを存分に堪能することができます。ただし才能が原石のまま転がっているかのような趣があって、少し後に書かれた協奏曲やソナタの第二番と比較するといかにも構成的に見劣りすることは否めないでしょうか。

ここでピアノを弾いているイーゴリ・ジューコフはネイガウス門下ですが、佐藤泰一氏の『ロシア・ピアニズムの系譜』ではちょっと聴きたくなくなるような紹介のされ方でかわいそうなピアニストです。この演奏を聴く限りでは極端な武骨さなど感じられず、センシティヴな楽想にも敏感に反応していますし音色も練られていて美しいです。ここぞというところで見せる雄渾な音楽のドライヴ(たとえばコーダの入り)も聴き手の血をたぎらすに十分なものがあるかと。

とびきり美しいのが折り返し地点を過ぎたあたり、森の中で鳴き交わす鳥たちのようにヴァイオリンやフルートのソロが連綿と第二主題を歌い上げてゆく場面です。ここでピアノはほぼアルペッジョの「縁飾り」に終始していますが、ユロフスキ指揮モスクワ放送響の濃密で陶然たる音色が実に味わい深かったです。