2008-01-01から1年間の記事一覧

ロミオとジュリエット

プロコフィエフのロミオとジュリエットはチェリ様の十八番中の十八番で、ティボルトの死はアンコールの定番としてもお馴染みでした。 (a)ベルリン・フィル(一九四六年ライヴ) (b)フランス国立放送管(一九七四年ライヴ) (c)ロンドン響(一九七八年ラ…

モラヴェッツのベートーヴェン

VAIからリリースされていたモラヴェッツのベートーヴェンのCDを聴きました。第四協奏曲と二十七番のソナタ、そして創作主題による三十二の変奏曲が収録されているものです。ミケランジェリの弟子といっても色々いるわけですが、ここで聴かれるモラヴェッツの…

ポルトガル狂詩曲

エルネスト・アルフテルのポルトガル狂詩曲を、ポルトガルの名指揮者フレイタス・ブランコ夫妻の共演(PORTUGALSOM、オケはポルトガル国立響)で聴きました。アルフテルのことをこの曲でしか知らないもので、てっきりこの演奏は「お国物」かとばかり思ってい…

ハスキルのハ短調協奏曲

アニー・フィッシャーの演奏があまりにすばらしかったので、ほかのピアニストでもベートーヴェンの第三協奏曲を聴いてみたくなりました。ハスキル/アンセルメ/スイス・ロマンド管(CLAVES)は、数多く遺された彼女のライヴ録音の最後のもの――死の三ヶ月前の録…

アニー・フィッシャーのハ短調協奏曲

しばらく前のリリースになりますが、アニー・フィッシャーの映像集を視聴しています。とりあえずと思って、十八番だったらしいのにこれまで聴く機会のなかったベートーヴェンの第三協奏曲から聴きはじめたのですが、これがものすごい演奏で、心底驚愕し歓喜…

シンプル・シンフォニー

ブリテンは作曲家として有能であるのに優るとも劣らずすばらしい指揮者であり、ピアニストでした。「自作自演必ずしも最良ならず」とは(たとえばストラヴィンスキーやヒンデミットなど)良く云われることですが、ことブリテンに関しては自身による演奏が今…

ファルナディ/タシュナー

ファルナディの協奏曲集には非常に期待していたのですが物理的な不如意はいかんともしがたく、ここは一つゲルハルト・タシュナーとのデュオ(TAHRA)を通じてこの名手の至芸を偲ぶことにします。彼らは常設デュオを組んでいたのか否か、ともあれ四曲のソナタ…

悩ましい

こんなのが出るみたいです。聴きたいのはル・グラン・タンゴだけだったりします。どうせいっちゅうねん。

フィッシャー・トリオの大公

(承前)あれからファルナディのCDを何度か聴いたのですが、すでに書いたようにピアノの音質がイマイチで、先に挙げたタシュナーとの共演盤と比較しても歴然と落ちます。本来の玲瓏たる輝きがどことなく減殺されている感じ。おそらく原盤によほどサーフェイ…

第一印象

HMVから荷物が届きました。ファルナディとシェルヘンの共演(TAHRA)から聴きはじめたところです。バルトークの愛弟子として知られるファルナディをわたしがはじめて聴いたのはタシュナーと共演したベートーヴェンやラヴェル、ドヴォルザークのソナタでした…

マジですか

EMIからアイコン・シリーズというヒストリカル録音の企画モノが出ているそうですが今度リヒテルとコルトーがラインナップに加わりました。前者は(たぶん)EMI録音の全集で、ベルクの室内協奏曲(最後に再発したのはいつの昔か……)のためだけでも必至という…

カルロ・ゼッキのブランデンブルク協奏曲第五番

とりあえずの締めくくりとして、とびきり上等なブランデンブルク協奏曲第五番の演奏を。イタリア・ピアニズム史において、ブゾーニとミケランジェリが必ずしもそれぞれに独立した、いってみれば突然変異的存在ではなかったことを証明するミッシング・リング…

ピアノでバッハを弾くということ

ブランデンブルク協奏曲第五番の独奏パートをピアノで弾くのは余程大変なことなのだなあと思い至ったのはカザルスのプラド時代の録音(CBS)を聴いてのことでした。ヴァイオリンのソロはシゲティ、フルートはアメリカにおけるフレンチ・スクールの大立者ジョ…

バッハのクラヴィーア協奏曲第五番(続き)

意外なところでこの曲に執心を示していたのがヴァイオリニストのシゲティで、SP時代に二楽章の自編「アリオーソ」を吹込していましたし、後にはヴァイオリン版の全曲(G.シュレック編)を演奏しています(KING)。この曲は元来がヴァイオリン協奏曲をチェン…

バッハのクラヴィーア協奏曲第五番

バッハのクラヴィーア協奏曲というとやはり第一番が突出した知名度及び演奏頻度を獲得しているかと思いますが、わたしは個人的には第五番が好きです。なんといっても二楽章がすばらしい。バッハの書いたもっとも美しいメロディーのひとつだと思います。しか…

リヒテルのブランデンブルク協奏曲第五番

古楽器復興以降もこの曲の独奏パートをピアノで弾くひとがいないわけではありません。リヒテルはその数少ないひとりです。その信頼も厚かったニコラエフスキー指揮モスクワ音楽院室内管(少人数なので生徒及び若手教授陣のピックアップ・アンサンブルかと思…

フルトヴェングラーのブランデンブルク協奏曲第五番

ブランデンブルク協奏曲といえば忘れては不可ないのがフルトヴェングラーの弾き振りでしょう。巨匠もこの曲を気に入っていたものと見えて、録音が二種類遺されています。オケはいずれもウィーン・フィル、フルートはニーダーマイヤーですが、ヴァイオリンが…

コルトーのブランデンブルク協奏曲第五番

コルトーのバッハ嫌いについては先に述べた通りですが、例外的にブランデンブルク協奏曲は「その完璧な均衡のゆえに」巨匠の偏愛するところであったとか。特に第五番の録音(EMI盤)は、コルトーが弾き振りし、盟友ティボーが弓をとったというその顔合わせの…

夏に記す『冬の旅』の印象

『冬の旅』を聴くときはいつもつまみ食いになってしまうので、たまに全曲通して聴いてみました。今回はひさしぶりにヒュッシュ/ウド=ミュラー盤(※わたしの手持ちは新星堂盤)です。口跡のうつくしい、丁寧で端正な歌唱です。動的な情感表出はきわめて抑制的…

フーベルマンの無伴奏

フーベルマンの無伴奏はSP期にいくつかのフラグメンツがありましたが、ライヴでパルティータ第二番の全曲が遺されています。無伴奏ソナタ第一番などは実演でも抜粋のかたちで取り上げるにとどまっていたことを思えばこの全曲演奏は破格の扱いと云えましょう…

リヒテル夫妻の『詩人の恋』

リヒテル夫人のニーナ・ドルリアクが歌手だということは知識として心得ていたものの、CASCAVELLEから三枚組CDが復刻されてはじめてわたしもその歌を聴くことができました。一部を除いて夫君との共演で、ロシアものが大半を占めますが、バッハやモーツァルト…

エネスコのピアノ

先にわたしはヴァイオリンに対するエネスコの不満の言葉をいくつか引きましたが、それが同時にピアノへの愛着をも語っていたことはなかなかに興味深く思われます。一義的には、エネスコの作曲家としての本性、さらに云えば根っからのポリフォニー音楽体質に…

エネスコの無伴奏(六)

最後に、アウトサイダーとしてのエネスコについて。『バッハの演奏法については、誰の指導も受けなかった。私は手探りで、暗闇を進んでいきました』とエネスコは自ら語っていますが、その「暗闇」とは、バッハ認識が今ほど進んでいなかった当時の状況の謂で…

エネスコの無伴奏(五)

個人的な昔話をすれば、エネスコの無伴奏を初めて聴いたときに感じたのは、尋常ならぬ切迫感でした。テンポの速さについては先にも述べましたが、その苦しげなアゴーギグも、先にラ・フォリアや詩曲を聴いて心底エネスコにまいっていたわたしには、あまりに…

エネスコの無伴奏(四)

脱線めきますが、十人中九人が絶賛するラ・ヴォーチェ=トーンレーデのコンチネンタル盤板起し(長ったらしいので今後「例のCD」で統一)の音質について。残念ながらコンチネンタル盤を聴いたことがありませんので何とも云えませんが、戦後のフルトヴェングラ…

エネスコの無伴奏(三)

『わが友よ、お前はとてもきれいで可愛い。だが、この私にはお前は余りにも小さ過ぎるのだ!』世に名高い独白が示すように、エネスコは時としてヴァイオリンを憎むこともあったヴィルトゥオーゾでした。それは一般に作曲をする時間を奪う演奏活動への苛立ち…

エネスコの無伴奏(二)

最初に、エネスコのバッハ演奏四箇条を確認しておくのも悪いことではないでしょう(これも『回想録』より)。 第一条 速度に対して宣戦を布告すること――正しい音の強弱をつかむために。バッハの前奏曲を音の強弱なしに演奏するのは、水が漏れる蛇口に等しい…

エネスコの無伴奏(一)

エネスコの無伴奏というと兎角技術の衰えが指弾されがちです。賛否こそ異なれ、この演奏についてしばしばなされる「腐っても鯛」式の物言いと「伝説の名演といわれるがどこが良いのか分からない」といった類の難詰とは、つまるところこの同じ出発点から導き…

マックス・フィードラーのシューマン

シューマンの第一交響曲で特別に気に入っている演奏のひとつがマックス・フィードラー指揮ベルリン放送管の一九三六年ライヴです(MUSIC & ARTS)。ブラームス指揮者として名高いフィードラーですが、シューマンも「極め付け」としてそれに優るとも劣らぬ高…

ユニバーサルにやられた

すごく悔しい。