エネスコ

エネスコのピアノ

先にわたしはヴァイオリンに対するエネスコの不満の言葉をいくつか引きましたが、それが同時にピアノへの愛着をも語っていたことはなかなかに興味深く思われます。一義的には、エネスコの作曲家としての本性、さらに云えば根っからのポリフォニー音楽体質に…

エネスコの無伴奏(六)

最後に、アウトサイダーとしてのエネスコについて。『バッハの演奏法については、誰の指導も受けなかった。私は手探りで、暗闇を進んでいきました』とエネスコは自ら語っていますが、その「暗闇」とは、バッハ認識が今ほど進んでいなかった当時の状況の謂で…

エネスコの無伴奏(五)

個人的な昔話をすれば、エネスコの無伴奏を初めて聴いたときに感じたのは、尋常ならぬ切迫感でした。テンポの速さについては先にも述べましたが、その苦しげなアゴーギグも、先にラ・フォリアや詩曲を聴いて心底エネスコにまいっていたわたしには、あまりに…

エネスコの無伴奏(四)

脱線めきますが、十人中九人が絶賛するラ・ヴォーチェ=トーンレーデのコンチネンタル盤板起し(長ったらしいので今後「例のCD」で統一)の音質について。残念ながらコンチネンタル盤を聴いたことがありませんので何とも云えませんが、戦後のフルトヴェングラ…

エネスコの無伴奏(三)

『わが友よ、お前はとてもきれいで可愛い。だが、この私にはお前は余りにも小さ過ぎるのだ!』世に名高い独白が示すように、エネスコは時としてヴァイオリンを憎むこともあったヴィルトゥオーゾでした。それは一般に作曲をする時間を奪う演奏活動への苛立ち…

エネスコの無伴奏(二)

最初に、エネスコのバッハ演奏四箇条を確認しておくのも悪いことではないでしょう(これも『回想録』より)。 第一条 速度に対して宣戦を布告すること――正しい音の強弱をつかむために。バッハの前奏曲を音の強弱なしに演奏するのは、水が漏れる蛇口に等しい…

エネスコの無伴奏(一)

エネスコの無伴奏というと兎角技術の衰えが指弾されがちです。賛否こそ異なれ、この演奏についてしばしばなされる「腐っても鯛」式の物言いと「伝説の名演といわれるがどこが良いのか分からない」といった類の難詰とは、つまるところこの同じ出発点から導き…

エネスコのホ長調協奏曲

ブッシュを聴いてエネスコを聴かないのも変なような気がしまして。エネスコの演奏は、一九四九年アメリカはイリノイ大の管弦楽団(指揮はKuypersなる御仁)と共演したライヴ録音で、同日演奏のベートーヴェンの協奏曲とカップリングされています(BIDDULPH)…