2007-11-01から1ヶ月間の記事一覧

ミュンヘンの第九

ミュンヘン盤を聴いてまず感じられるのは、かつての熱狂はもはや過去のものとなりにけりということでしょう。特に第一楽章。よそよそしいと云ってもいいくらいで、トリノ盤にひきかえ、チェリ自らの云う構成上のアラが却って耳につくような印象さえあり、さ…

今度こそ

第九といえばチェリ、という人はまずいないと思いますが―― チェリの第九には若いときのトリノ・ライヴとミュンヘン・フィルとの共演が遺されています。その間三十年かそこらの歳月を閲しているだけにさまざまな相違点があって、比較すると興味深いです。まず…

もうすぐ十二月ですね

というわけで第九ネタでも。クンデラの『存在の耐えられない軽さ』中に「俗悪なもの(キッチュ)」論があります――クンデラと第九に何の関わりがあるんだ、とお思いの方もおありでしょう。しかし、≪世界のすべての人びとの兄弟愛はただ俗悪なもの(キッチュ)…

ショパンのマズルカ

SP時代のレコード評論家野村胡堂あらえびすが当時「本場もの」として評価の高かったフリードマンのショパンを酷評していることは『名曲決定盤』の読者には申すまでもありますまいが、一方で、あらえびすはマズルカを目して「この程度の夢のない舞踏曲」には…

ベートーヴェンのチェロ・ソナタ第三番

(ここの続きです)コルトーとカザルスの一九五八年の共演を聴いていてまず感じるのは、カザルスのペースに合わせながらもコルトーが自らの音楽を存分に主張していることです。同じ魔笛変奏曲でも戦前と戦後では大いに印象が異なります――それだけ壮時のカザ…

たまには新譜ネタ

テンシュテット/ロンドン・フィルのブルックナーの第七交響曲を聴きました。この直前に凄絶な東京のワーグナー・アーベントのDVDに圧倒されたばかりということもあるでしょうが、少し期待しすぎたかなあ……これはテンシュテットの芸風からいえばある程度予想…

行き当たりばったり

いま、寝酒のニコラシカを三杯かっくらっていい感じに体が熱くなってきたところです。意識がなくなるのが先かポストし終わるのが先か、一発勝負にでてみます。というわけで今晩は、コルトーとギーゼキングを分かつものは何か、などと考えながら酒をかっくら…

コルトーのベートーヴェン(室内楽編)

コルトーのベートーヴェンといえば一昔前は戦前の室内楽録音を聴くことができるのみでした。これらのレコードが世間一般の「コルトーのベートーヴェン」観を形成したといえるでしょう。しかしながら、大公トリオなんか天下御免の名盤ですが、この場合全盛期…