エネスコのピアノ

先にわたしはヴァイオリンに対するエネスコの不満の言葉をいくつか引きましたが、それが同時にピアノへの愛着をも語っていたことはなかなかに興味深く思われます。一義的には、エネスコの作曲家としての本性、さらに云えば根っからのポリフォニー音楽体質によるところでしょうが、ピアノという楽器にエネスコが非常な親しみを覚えていたこともまた確かです。ピアノを弾くエネスコのすばらしさはコルトーも回想する通りだったことを、遺された録音は教えてくれます。

エネスコのピアノは、作曲家のそれです。たとえばブリテンやフランセのように、作曲家にはただ玄人はだしというだけでは足りない、それどころか専業ピアニストも顔色を失うような繊細でふくみのあるタッチの持ち主がいますが――ブリテンのタッチのすばらしさにかけてはリヒテルも「自分より表情豊かなピアニシモだった」と脱帽していたほどです――エネスコもそのひとりでした。

コンサート・ピアニストとしては日常的訓練をしていないこともあって、戦時中に録音された自作の第二組曲(DANTE: こんなCDもあります)においては技術的により難儀なブレーを愛弟子のリパッティに任せ、自らはサラバンドパヴァーヌを弾いていますが、イマジネイティヴでやわらかな、肉声そのものを思わせるエネスコの音色はリパッティのそれよりもわたしには好ましく思われます。まあ、そもそもがリパッティは音色のパレットに関しては随分ひかえめなピアニストだったので比較するのはちと可哀想なのですが……

ピアニストとしてのエネスコの録音はそのほとんどが自作の演奏ですが、珍しいところでパガニーニのカプリス第六番にピアノ伴奏をつけたものを自ら弾いているレコードがあります(ISTITUTO DISCOGRAFICO ITALIANO)。ヴァイオリンは一番弟子のメニューインですが、これが実はとてつもない聴き物で、その響きは妖しいまでに神秘的にして幽玄、ついついピアノにばかり意識が向かいます。初演を聴いたその日に春の祭典をピアノで完璧に再現し、ワーグナーの楽劇を弾いてはピアノからオーケストラのように豊かで劇的な響きを引き出して間然するところなかったといわれるエネスコの深遠にして玄妙なる喚起力をこの演奏からもうかがうことができるでしょう。

そういえばコルトーのマスタークラスの録音が先年復刻されましたが、エネスコはマスタークラスでソナタの伴奏は無論のこと、協奏曲の管弦楽部もピアノで弾いていたといいます。録音が残っていないものでしょうか。