フィッシャー・トリオの大公

(承前)あれからファルナディのCDを何度か聴いたのですが、すでに書いたようにピアノの音質がイマイチで、先に挙げたタシュナーとの共演盤と比較しても歴然と落ちます。本来の玲瓏たる輝きがどことなく減殺されている感じ。おそらく原盤によほどサーフェイス・ノイズが乗っており、それを無理に削ってしまったのでしょう。

そのくせシェルヘンの振るオケの音色は妙に生々しく、この指揮者ならではのキレの良さもはっきりと再現されているんだなあ……まあ、リマスタリングしてる連中にシェルヘンの響きが骨の髄までしみこんでいるのであればそれを再構築するくらい訳もないということでしょうか。

ともあれ、何とも遺憾なことにファルナディのピアニズムの魅力の過半を占めるかとも思われるタッチの美しさがスポイルされているものだから甚だしく興醒めではあり、これを聴いて演奏の如何を判断することは危険なことかもしれません。ファルナディのためにもわたしはこの録音について喋喋すべきではなかろうと思わざるを得ませなんだ……

というわけで、口直しにフィッシャー・トリオのCDを聴きました。

エトヴィン・フィッシャー・トリオの遺してくれた独墺音楽のレパートリーはその悉くが珠玉の名演奏ですが、中でも大公トリオはフィッシャーのピアノが比較を絶したすばらしさで、同曲異演中の白眉、このピアニストの数ある名演奏でも屈指のものと思います。どこといって無理に力をいれたところがないのですが(フィッシャーのあとでは晩年のリヒテルでさえも力みかえっているかのように聞こえてしまいます)、その構えはきわめて壮麗で、我というものがまったくない、大いなる自然とひとつのいきを息づく無念無想の境地――それゆえの大いなる安らかさと音楽をすることの純一な歓び、そしてアンサンブルを温かく導く包容力の豊かさが、この演奏を他の誰のベートーヴェンとも違った別格の逸品たらしめています。

玉に瑕が復刻盤の音質で、とくに現今もっとも入手の容易なORFEO盤たるや、ハイターに三日三晩つけっぱなしにしたかのように漂白されて味気なく色褪せたリマスタリングで、これと比べたらノイズ・リダクションのかけすぎで音が薄ぼけたM&A盤のほうがまだしも我慢できるくらいでしょう。M&A盤の聴感上の印象を黄変した分厚いニスに覆われた名画を見ているようなものとすれば、ORFEO盤はニスと一緒に絵の具まで除去されてしまった無残な姿を想起させて、フィッシャーの味をここから感じ取ることは全くの困難事です。

そしてこれは贅沢な注文なのですが、チェロが全盛期のカザルスではない――この曲の、ことに三楽章はカザルスでないと聴いたような気がしないから困ってしまいます。マイナルディほどの名手といえども、心身ともに充実の極みにあったカザルスとではビールと発泡酒くらいの違いがあるのです。