ファルナディ/タシュナー

ファルナディの協奏曲集には非常に期待していたのですが物理的な不如意はいかんともしがたく、ここは一つゲルハルト・タシュナーとのデュオ(TAHRA)を通じてこの名手の至芸を偲ぶことにします。

彼らは常設デュオを組んでいたのか否か、ともあれ四曲のソナタの録音が遺されたのは後世の幸いでしょう。ベートーヴェンの第三と第五、ドヴォルザークソナチネ、そしてラヴェルという名品揃いです。

ここに聴かれるファルナディのピアノは的確な様式感覚に裏打ちされた第一級の出来で、タッチは端麗にして多彩な変化を内包し、その温かみのある木質感の音色ゆえに鋭い知性の働きも角に立たないところが偉とするに足ります。繊細な響きのニュアンスと香り高さ――これこそは、協奏曲集の復刻音質に求めて得られなかった、蓋し彼女の美質にあってもっとも魅力的な部分です。

対するタシュナーは、悪いヴァイオリニストだとは思いませんが、音楽性がファルナディとは今ひとつ噛みあっていないような気がします。ファルナディの方がずっとモダンな感性の持ち主ですね。ヴァイオリンがたっぷり歌いたがるところで「付き合いきれんわ」とばかりピアノが先に進むような場面がなきにしもあらずです。オールド・ファッションが不可ないとは必ずしも思いませんがタシュナーの音楽作りには個性というよりむしろルーティンなものを感じさせるところがあって、個人的にはファルナディの清新を遥かに高く買います。

というわけで、ヴァイオリンの比重が高いドヴォルザークラヴェルは、プシホダやシゲティの名演と比較すれば、肝心のタシュナーが所詮オケマン上がり、と聞こえてしまい十分には満足させてもらえません。白眉はベートーヴェン、ことに第三ソナタでしょう。蓋しハスキルのライヴと双璧です。

タシュナーの名誉のために云えば、併録のブラームスの第一ソナタは名演です(ピアノはマルティン・クラウゼ)。ここではタシュナーの古風な解釈にドイツ人の生活実感のようなものが裏打ちされていて、ブッシュ/ゼルキンの塁に迫る出来と申し上げても良いでしょう。