ロミオとジュリエット

プロコフィエフロミオとジュリエットはチェリ様の十八番中の十八番で、ティボルトの死はアンコールの定番としてもお馴染みでした。

  • (a)ベルリン・フィル(一九四六年ライヴ)
  • (b)フランス国立放送管(一九七四年ライヴ)
  • (c)ロンドン響(一九七八年ライヴ)
  • (d)シュトゥットガルト放送響(一九八一年ライヴ)

わたしの手許にあるまとまった録音は以上の通りですが、それぞれのセレクションにおいて演奏されている曲は微妙に異なっています。(a)は作曲家による第二組曲「モンタギューとキャピュレット」「少女ジュリエット」「修道僧ロレンス」「ダンス」「別れの前のロミオとジュリエット」「百合の花を持てる乙女たちの踊り」「ジュリエットの墓のロミオ」)でしたが、(b)においては「修道僧ロレンス」と「ダンス」がカットされて最後に「ティボルトの死」が追加されています。さらに、(c)、(d)では「少女ジュリエット」のあとに「仮面」が挿入されました。

この中で(c)はロンドン響とのほぼ初顔あわせということもあってこのオケの器用貧乏な厭らしさが少し表に出てしまっていますし、(d)はシュトゥットガルト放送響との最後の時期の演奏だからか蜜月はすでに終わったあとといった風情が漂っており(*)、いずれも(b)に敵しうるものではありません。それを云ったら(a)だって決して悪くはないんですけど、ね……

チェリビダッケとフランス国立放送管との短くも熱烈な(まあ、云ってみれば)恋の季節のさなかに演奏されたこのライヴはまさしく彼らコンビの代表作と呼ぶにふさわしい出来です。圧巻は何といっても最後の二曲。深い慟哭が天を突く「ジュリエットの墓のロミオ」の巨大なスケール感はチェリビダッケの音楽的想像力の極限を示すもので、無慮ムラヴィンスキーの一・五倍という尋常ならざるテンポを凄まじいまでの緊張感が貫いており、一瞬たりとも弛緩を感じさせません(蓋しこれを聴いて「遅すぎる」と文句をつける輩こそがぶったるんだ音楽の聴き方をしているのです)。何といっても、クライマックスの「エイッ!!」がたまらない。「ティボルトの死」もスピードで誤魔化してしまわず、音それ自体の表現力――リズムの切れ味と凝縮された響き――で勝負しているからこその濃密きわまりない鮮烈さに圧倒されます。チェリのタクトに全身全霊で応えるフランス国立放送管の、ひたむきで一体感のある響きも見事。指揮者とオーケストラ双方の旺盛な表現意欲が軌を一にして、超絶的な音世界がここに現出したのです。

わたしの所有盤は( Campanella 002 )ですが、WMEからリリースされたフランス国立放送管との一連のCD-R盤と比較すればやや不鮮明ではあるものの十分聴くに耐える音質です。あの妙ちきりんなデジタル・ノイズが混入していないだけでも偉とするに足ります。


(*)……ただし、この翌年に彼らが成し遂げたフランクの交響曲は壮絶な名演です。