フーベルマンの無伴奏

フーベルマンの無伴奏はSP期にいくつかのフラグメンツがありましたが、ライヴでパルティータ第二番の全曲が遺されています。無伴奏ソナタ第一番などは実演でも抜粋のかたちで取り上げるにとどまっていたことを思えばこの全曲演奏は破格の扱いと云えましょうか。アメリカ時代、一九四二年の放送録音です。

個性派として名高いだけのことはあって(?)ベートーヴェンの協奏曲などでは個人的にちょっとついて行けない部分もあるフーベルマンですが、このパルティータは、深い洞察に裏打ちされ、ぐっと抉りの利いた、わたしに云わせればむしろ王道を行く観のある演奏です。あえて云えばこのヴァイオリニスト特有の幅の広いヴィブラートの多用が多少の異色をなしていますが、ヴィブラートをかけるかけない、かけるにしてもどの程度かけるか、という使い分けがきめ細かくなされており、決して不自然な感じは与えません。

きわめて印象的なのが拍節感を重視した力強いリズムで、律動それ自体の表現力は無論のこと、ちょっと歌い崩したくらいでは厳然として揺るがない音楽のフォルムもリズムあってのものです。この演奏の死命を決する――といっても云い過ぎにはならないでしょう。

速いテンポの曲の切れ味鋭い推進力に対してサラバンドでは一転濃厚な押しの強さが顔を出しますが、きわめて求心的で聴き手をそらしません(ここには瞑想味が感じられない、というのはいかにも正確な指摘かもしれませんが、かくも哀切にして纏綿たる訴えに耳を傾けることなくそれをあげつらうのみというのでは偏狭にもほどがあります)。

そのサラバンドから、そうでなくてもテンポが速いのに反復まで省略されてあっという間に終わってしまうジーグを経て、極め付きのシャコンヌに至ります。濃密でドラマティックなことは大方の想像通りでしょうが、わたしが圧倒されたのは何といってもその雄渾なスケール感で、フーベルマンが情念「だけ」の人ではなかったことがよく分かる演奏です

CDはARBITERオーパス蔵から出ており、音像は前者の方が歴然と鮮明ですが、そのかわりノイズも同じくらい鮮明に入っています。前者がソースから見て「子」であるとすれば後者は孫かひ孫といったところでしょう。