夏に記す『冬の旅』の印象

『冬の旅』を聴くときはいつもつまみ食いになってしまうので、たまに全曲通して聴いてみました。今回はひさしぶりにヒュッシュ/ウド=ミュラー盤(※わたしの手持ちは新星堂盤)です。

口跡のうつくしい、丁寧で端正な歌唱です。動的な情感表出はきわめて抑制的で、これがあの一世を風靡した『冬の旅』かと思うと、古人はこの演奏のどの辺に深く思いを致したのだろうか、と少しく考えさせられるものがあります。連続して収録されたものでないこともあるでしょう、各曲間の流れやコントラストもあまり強くありません。

しかし『ライエルマン』は出色の歌唱でした。一語一語を噛みしめるように厳しく置いて行くなかから、最後の最後に悲痛な思いがほとばしります。うーん、これは全曲を通して聴いてこその感慨だなあ、といつもの自分の飽きっぽさに強烈な自己嫌悪――

とか思ったはしから、何となくヒュッシュの演奏では完全には満たされなかったものは何なのか確認したくなって、またぞろCDのとっかえひっかえをするあたりが性懲りもない。

○まず聴いたのはロッテ・レーマン(LYS)。とにかく情の深い歌唱で、わたしにとってのうたのふるさとみたようなものです。

それでいて、たとえば『菩提樹』で中間部のおわりに「ぼくは振り向きもしなかった」と言い捨てる厳しさには聴く者を慄然とさせるものがあります。

こう書くのは穿ちすぎかもしれませんが、これは彼女がヒットラーのドイツにいられなくなって、亡命先のアメリカで第二次世界大戦の真っ最中に吹き込んだレコードです。そこでは、若い旅人の故郷の街に、レーマン自身の故国ドイツへの感慨が重ね合わせられているとみなしてもおかしくないのではないでしょうか――仮にそうだとすれば、彼女が吐き捨てるように胸から絞り出した "nicht" には、何と苦い拒絶が込められていたことか。

ホッターの東京ライヴ(ソニーの廉価盤)は、ドイツ語の発音ということであればいかにもヒュッシュたちにと比べて曖昧模糊としていますし、伴奏のドコウピルのピアノもいささかデリカシーに欠けるきらいがあるのですが、たとえば『氷結』の凄絶な歌唱たるや……!万感の思いが怒涛のように押し寄せて有無を言わさず聴き手を圧倒するあたり、さすがは二十世紀最高のヴォータンだけのことはある、と妙な感心の仕方をしてしまいます。

――え、もはやこれはリートじゃない、ですって……?

たしかにそうかもしれない。ですが、これがすばらしい「音楽」以外の何物でもないことにただただ感謝することしかわたしは知りませんし、つまらない屁理屈など薬にしたくもありません。