リヒテルのブランデンブルク協奏曲第五番

古楽器復興以降もこの曲の独奏パートをピアノで弾くひとがいないわけではありません。リヒテルはその数少ないひとりです。その信頼も厚かったニコラエフスキー指揮モスクワ音楽院室内管(少人数なので生徒及び若手教授陣のピックアップ・アンサンブルかと思われます)との共演で、ヴァイオリンはカガン、フルートはUSSR響の首席奏者をつとめたとかいうヴォロジュツォーワ、さらにいえばカガン夫人のグートマンもチェロで参加しています。一九七八年のライヴで、わたしの手持ちはDVDの映像(LIVE CLASSICSからはCDが出ていました)なのですが、リヒテルは眼鏡をかけて譜面を見ながら弾いていました。暗譜を止めて間もない頃の記録だと思います。

アンサンブルの核をなしているのは何といってもリヒテルの大きな存在感で、その強靭にして弾むような力強さに富んだタッチが的確な表情の変化を導くと同時に、音楽をがっしりと下支えしています。当時リヒテルは六十三歳ですがその演奏はきわめて輝かしく、一気呵成に弾かれたカデンツァなど、伝説的な「練習の鬼」ぶりさえもかすかに垣間見られるでしょう。まだまだ枯れるどころの話ではありません。晴朗な両端楽章もさることながら二楽章の落ち着いた瞑想の深みがさすがの出来で、やっぱりリヒテルのバッハはいいなあ、となります。

カガンは一九四九年生まれなので二十九歳でしょうか。少し上ずった感じで、さすがにまだ若いかなあと思いますが、伸びやかな弓はすでにしてカガン以外の何物でもありません。フルートのヴォロジュツォーワに至っては芳紀十九歳。センプレ・ヴィブラート気味の吹奏に不満がないとは云えませんがそれをあげつらうのも大人気ないでしょうか。ニコラエフスキーはサポート役に徹しつつも手抜かりのない棒で、響きのバランスは理想的といってもいいでしょう。