マックス・フィードラーのシューマン

シューマンの第一交響曲で特別に気に入っている演奏のひとつがマックス・フィードラー指揮ベルリン放送管の一九三六年ライヴです(MUSIC & ARTS)。ブラームス指揮者として名高いフィードラーですが、シューマンも「極め付け」としてそれに優るとも劣らぬ高い評判を得ていたとか。

序奏はほとんどスローモーションの域に達した遅いテンポではじまりますが、主部に入る直前、猛烈なクレッシェンド&アッチェレランドがかかってのっけから鼻血モノの昂揚っぷりがタダモノではありません。これぞ十九世紀浪漫派の底力と申しましょうか(一八五九年の生まれというと、ニキシュとは歳が四つ、イザイとは一つしか違わない同時代人です)。この途方もなく豪胆で大柄な芸風と比較すると、フルトヴェングラーでさえいかに近代人であったか――と思わずにはいられないくらいです(良し悪しの問題ではなく)。

そして驚くことにそのまま主部に突入して、すさまじい快速テンポを押し通してしまいます。とうてい七十六歳の老人がすることとは思えませんな。力強いバスが打ち出すリズムは変幻自在でありながらきわめて正確(さながら健康な心臓の拍動のごとし)で、あふれんばかりの情熱に脈打っています。クレッシェンドは腹の底から湧きあがり、クライマックスは壮麗にして雄渾無比。情熱的にしてドラマティックなことにかけては右に出るものがありません。

両端楽章もさることながら、ミトロプーロスが六分足らずで切り上げたところを八分半かけている二楽章が得も云われず情感豊かでこれまた結構。フィードラーは雄大叙事詩人であると同時に繊細な叙情家でもありました(三楽章のトリオの優雅な歌いまわしもその好個の一例でしょう)。録音が悪いことといったらどうしようもありませんが、なに、聴いているうちにそんなことは忘れさせてくれるくらい演奏がすばらしいです。