逸般人向き

三大ゴロといえば

で決まりかと思いますがその塁を摩するかと思われる豪演のひとつが悲愴です。

これまでさんざん地獄だ悶絶だと書きたててきましたがゴロワノフの持ち味の一つとして濃密な音色の真に迫る表現力が挙げられるでしょう。たとえば一楽章冒頭のファゴット独奏に引き出される低弦の、肺腑を抉るような暗澹たる響き。ここまで生々しい絶望の表現はなかなか聴くことができますまい。

この楽章は例によって過激なコントラストで隈取されたもの。「どんなことになるのやら」とクライマックスには聴く前から思わず身構えしましたが、個人的には、ここは大芝居しない方が曲自体の「大きさ」が生きるかと感じました(やっぱりチェリ様とムラヴィンスキーの、寄らば斬る、的な緊張感が凄い)。

二楽章も異常な生気ととめどもない憂愁の交錯であまりにも予想通りに優雅さや淡いものがこれっぱかりもありませんがけっこう面白く聴けます。

三楽章はでだしからしてこのテンポで大丈夫?(何しろゴロワノフがあとからアッチェレランドしないわけがない)というハイテンションっぷりですが、少なくとも「フツーの行進曲」にはなってませんし、このもの狂おしさ、あながち読み違いとも思えません。

フィナーレは噴き上げる血のような慟哭。一楽章劈頭をまざまざと思い起こさせるコーダの底ごもる闇に胸を衝かれます。絶望から死へというプログラムにかわって悪夢のような円環がそこにはあるのです――すなわち、スターリン時代の、死よりもなお暗い生が。