信憑性ゼロ

トシを取ると「時間が惜しい」と思うことが多くなります。ひとつには自分に残された時間には限りがあるのだという当たり前の事実が生々しく感じられるようになったためであり、億劫がりになるためでもあると思われます。

要は、『○○を××するには人生は短すぎる』という思考パターンが出来上がってしまうと。面倒くさがりに理由を後付けしてるといやあ全くもってその通り。

こういうサイトなので××は「聴く」に限定するとしまして、○○に入るのはわたしの場合、

  • イギリス音楽
  • イタオペ
  • 生きてる演奏家のCD(録音聴くくらいなら演奏会に行くがな)

といった具合です。

グラズノフも、この○○の範疇に入る作曲家です。交響曲なんかあることは知っていてもこれまでほとんど聴いたことがありません。たぶん聴いたことがあったとしても五分で寝たはず。

だからこれ以下にわたしの書くことには自分でも笑えてくるくらい説得力がありません。まずそのことをお断りしておきます(いやー長い前置きだ)。

というわけで何の興味もなければ関心もなかったグラズノフ交響曲ですが、ゴロワノフが振っているので「ゴロならやってくれるはずだ……」という期待を込めて聴いてみました。交響曲の六番と七番です。

――真っ当に良い演奏じゃないですか。たぶん。きっと。おそらく。

かなりのゴロ臭ですが、わたしのようにグラズノフはかったるいと思い込んでいる人間にはこれくらい劇的にやってくれた方がちょうど良かったりします。それでいてこりゃ原曲とはまったくの別物だなとまでは行かない、ギリギリのところで踏みとどまっています。緩徐楽章などは、グラズノフが好きってひとはコレがいいんだろうなあと思うようなもの憂い情感やけだるい甘美さがよく出ていますし、たとえば七番の一楽章第二主題の、絶妙な歌わせ方。懐かしさいっぱいの純正ロシア調です。同じお国ものでもムソルグスキーボロディンではアブノーマル路線でしたがスクリャービングラズノフを振らせると例の濃厚なブラスの咆哮やら大爆発やらが曲の雰囲気を損なわずむしろ生き生きと躍動させているあたりには実に興味深いものがあります。