ゴロワノフのボロディン/交響曲第二番

ゴロワノフのロシア物は、展覧会の絵一八一二年のような個性暴発系の演奏と、スクリャービングラズノフといったフツーに良い演奏とに大別されるように思います。

ボロディンの第二交響曲に関していえば、以前マルチソニック盤で聴いたときの衝撃たるや、コレは断然前者、それもとびっきりの爆演というものでした。このCDの音質の劣悪さは一部で知られる通りで、ギラついた高音域、ダンゴ状態のトゥッティの響き、歪みまくるフォルテ、とまさに三重苦もいいところでした――しかしですよ、普通一般の演奏であればマイナスにしかならないそうした要素が、今にして思えば不思議なくらいゴロワノフの芸風とはマッチしてたのです。要は、凶悪な演奏がより凶悪に響く、という(笑)

のっけから、誰かが上手いこと云っているように、ピギャー!!と怪獣が咆哮しているかの如き音のカオスが聴く者の耳をつんざきます。それに驚き呆れ、圧倒されたまま全曲が終わってしまう――マルチソニック盤で聴くボロディンは、そのような録音でした。

一方、ヴェネツィア盤はそこまで衝撃的ではありません。音質的に随分マトモになっている分、その分演奏もマトモに聴こえる弊(?)がないとはいえないのです。正直にいえば、最初はちょっと物足りないような気もしました――ただし、そう思うのはわたしが先にマルチソニック盤に触れているからであって、これを初めて聴くという方はのっけから追加されるドラム・ロールの過剰なまでのB級感に度肝を抜かれることでしょう(^^;

その代わり、二楽章以降ではこんな音楽をやっていたんだ、ということは今回のCDではじめて分かったように思います。特筆したいのは三楽章。先にあげたグラズノフもたいがい濃厚なロシア情緒いっぱいでしたが、今度のはあれをさらにギュっと濃縮した感じで、もぉムンムンしまくっております。もはやコテコテを通り越して次のステージへ到達したとでも云おうか……アダージョ・ゴロワノフ』を作るときは絶対外せない逸品、と申し上げておきましょう。

意外だったのは、ゴロワノフに一楽章をやや持て余していた節のあることです。重厚にやろうとして、テンポをあえて動かさないでいる(あくまで、ゴロにしては、ですが)ため、音楽が停滞してなかなか前に進んで行かないのです。何とか爆音で押し切った感じ。ふだん「考える前に跳べ!」式の脊髄反射音楽をやっているゴロが、柄にもなく考えすぎてしまったのでは、という気が何となくしました(二楽章以降は完全に吹っ切れてますのでご安心を)。

その点、ボロディンの次に収められている「禿山の一夜」ではいつも通りのゴロを堪能することができます。例によって完全にイっちゃってますが、ここまでやるとかえってオドロオドロしい感じがせず、ある意味健康的なお笑いエンターテイメントになってしまっているのは、ゴロ・マジックと呼ぶべきか何なのか……



記者「マエストロ、あなたの解釈についてお伺いしたいのですが」
ゴロ「解釈?それって喰えるのか!?



やっぱりゴロはこうでなくっちゃ!