眼福

『ロシア・ピアニズムの黄金時代』シリーズではもう一枚、ゴリデンウェイゼルや大ネイガウス、ギンズブルグ、オボーリンに若き日のスターシクによる演奏が収められているものを視聴しました。

泣く子も黙るふたりの大先生に関しては拝むことができただけで幸せです。ゴリデン先生の老いてなお崩れを見せない演奏ぶりには畏敬の念を禁じ得ません。一見そっけないというか冷たく感じられる表情のショパンですが、その厳正なリズム感、完璧なタッチのコントロール、はっと息を呑むような音彩の変化とがあいまって不思議と聴き手を引き離さないものがあります。雑然と楽譜や書物が積み重ねられた自室でピアノ(この下で若き日のリヒテルは毎晩眠っていたんでしょうか……)を弾いているネイガウスの姿――というか後景まで含めて映像の全体から、この洗練された音楽家の魅惑的な風韻が立ちのぼってきます。正直なところ分析的にどうこうと言えるようなものではない(解説の佐藤泰一氏も実に書きにくそうですが同情に堪えません)のですが見ると見ないとでは大違いでしょう。

ギンズブルグの映像は以前ちらっと見た覚えがありますがこうしてその師匠と見比べるとピアノを弾くスタイルが驚くほど似通っていることに気付かされます。いずれも映像で見る限りでは小柄なほうで、肘から先だけでピアノを弾いているかのような按配ですがそのテクニックたるや物理的な制約を毫も感じさせません。涼しい顔してカンパネラを弾いてのけていますが、個人的にはショパンのワルツにより惹かれるものを感じます。スターシクとはまた随分毛色が異なるのですが、得も云われず上品で繊細なショパンです。上等の和菓子を口に含んだらそのまま溶けてしまうような、洗練のきわみに至るはかない美の顕現とでも云うほかありません。それとも酔っ払いは酔っ払いらしく上善如水とでもたとえるべきでしょうか。

オボーリンはこれまであまりにも「あやうさ」が感じられないのが不満で熱心には聴いてこなかったのですが、この四季の抜粋を聴いてみてもたしかに絢爛たる才気がほとばしるというには遠いし、溌剌とした生気を感じさせるわけでもありません。しかしところどころでこのピアニストはものすごくきれいなレガートをかけて音楽をしみじみと美しく歌わせます。その温雅な叙情には凄みのようなものがよしや欠けているとしても聴き手の心に深く届くものがあるでしょう。

五曲中四つまでがスタジオ録音で最後のトロイカのみがライヴ収録でしたが、どこか弾きにくそうな前者に対して後者は余裕があって音楽の流れも格段に豊かなものとなっています。前半四曲も味わい深いのですがこれだけ生彩に富んだオボーリンを聴いたのはこのトロイカがはじめてだと思います。このひとも録音嫌いだったと聞きますがセッションと実演とでこれだけ違っていたのであればライヴ録音を探してみなくてはという気にさせられました。

最後のスターシクは二十七歳の演奏だとか。スケルツォの二番も解釈のベースはすでに出来上がっており、これにデンオンのCDで聴くことのできる一九六五年ライヴでは追い立てられるような切迫感が加わり、先日の映像の円熟へと至るのですが、いとも伸びやかで柔軟な音楽には生得の気品が感じられて栴檀は双葉より芳しの一語につきます。