イ長調ついで

もうちょっと色々聴いてみます。

ブリュショルリは再評価の機運が高まりつつある名女流で先日来復刻ディスクが数枚リリースされていますが、そのうちのひとつ、モーツァルトの協奏曲集を聴いてみます。二十三番と、これもユーディナの演奏でおなじみの二十番とがカップリングされており、管弦楽はパウムガルトナー指揮ザルツブルク・モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカです。

生まれが一九一五年(リヒテルと同い年)ですから一九六一年録音というと四十五、六歳の演奏ということになりますが、分析的に聴いてしまえば、和声感は並(コルトーとかと比べてしまうと……)、タッチと音色のパレットも限られているし仕上げがまた少々粗い感じがする――という具合です。しばしば、弱音がただ弱く弾いているだけにしか聴こえないのはことに物足りなく感じられます。

しかし、尻上がりに調子が良くなってフィナーレは別人のようでした。ブリュショルリは昔の人によくある録音嫌いだったそうですから、ここでやっと気乗りしてきたと云うのが本当でしょうか。パウムガルトナーの指揮も、大柄で情感の豊かな、聴き手に強く訴えるものがあるモーツァルトです(二楽章なんかはピアノが食われてますね)。この人のシンフォニーも聴いてみたくなりました。

併録のニ短調協奏曲は一楽章のカデンツァに入る前の火だるまっぷりが唯一無二。スタジオでこれだったら、ライヴではどんなことになっていたのだろうかと思います(カデンツァもきわめて個性的)。

――というわけでブリュショルリのライヴですが、ベートーヴェンハ短調協奏曲があります。やはり実演だけのことはあって、一楽章のちょうど真中辺など、リヒテルも真っ青という壮絶な盛り上がりように血が騒ぎます。これだけやってくれたら、ちょっとしたことなどどうでも良くなりますわな。人気があったのも頷けます。