ミトロプーロスのマーラー/第六交響曲

ミトロプーロスニューヨーク・フィルを振ったマーラーの第六交響曲(一九五五年ライヴ)がARCHIPELからリリースされました(cf.→HMV)。火星人の指揮する同曲は、一九五九年ケルン放送響とのライヴ(わたしの手持ちはARKADIA)が名演として夙に知られていますが、山崎浩太郎氏はこの指揮者を襲った心臓発作以前の当演奏に軍配をあげており、前々から聴いてみたいと思っていたものです。

レーベルがレーベルなので復刻音質が心配でしたが、年代からいってむしろ高水準の部類の聴きやすい音です(音源はエアチェック)。初出のニューヨーク・フィル自主出版盤と比較してどうかは何ともいえませんが、このCDを聴いている分には不満を感じません。

この演奏を聴いてまず気付かれるのは中間楽章の演奏順がアンダンテ―スケルツォであることです。当盤には何の解説もありませんが、これが実際の演奏順だとのこと。これまで聴いていた四年後のケルン盤ではスケルツォ―アンダンテでしたから少しく意外に感じました――もっとも、一九五五年当時は出版譜の曲順がアンダンテ―スケルツォとなっていましたから、そのように演奏されるのが当然だったといえます。*1ことを意外に感じるのは、蓋しわたしがテンシュテットベルティーニの演奏を通じてスケルツォ―アンダンテの演奏順にあまりに馴れているためなのです。

むしろ、一九五九年に中間楽章の演奏順を変更していることにこそ注目すべきでしょう。というのも――詳しいことはこちらのページを参照していただくとして――エルヴィン・ラッツの全集版が出版されたのは一九六三年のことですから、五九年の演奏がアンダンテ―スケルツォの順であって何もおかしいことはないのです*2――フルトヴェングラーブルックナーの第八交響曲の新全集版を版下の段階でノヴァークに見せてもらっていたと伝わりますが、ミトロプーロスにもそれに準ずる機会があったのでしょうか。いずれ当時のマーラー学の動向に対してアクチュアルな関心を抱いていたことは間違いありません。

一方で、ニューヨーク盤のフィナーレはハンマー二発のみでしたが、ケルン盤では三発目をぶっ放していたりします。しかも、一回目、二回目よりハデに――

これはまさかラッツたちの入れ知恵ではありますまい。さすが火星人、一筋縄では行かないぜ!!



続く

*1:同年に演奏されたベイヌムやフリプセの録音もアンダンテ―スケルツォだとのこと。

*2:火星人以外の指揮者がどう対応していたかを知りたいところですが、残念なことに一九五六年から全集版出版まではこの交響曲の演奏史における空白期間もいいところで、ミトのケルン盤くらいしか録音がありません。