ミトロプーロスのマーラー/第六交響曲(承前)

ニューヨーク盤は、ポジティヴなエネルギーに満ち溢れた演奏です。この曲でポジティヴというのも何だか妙な話ですが実際そうなんだからこう書くより仕方ない。

オケの上手さが際立っています。楽曲に対する不慣れから来る逡巡を全く感じさせません。ソロをとる各奏者は一様に達者ですし、シューマンやフランス物では勘弁してくれといいたくなる威圧的なブラス・セクションが、ここではプラスにこそなれマイナス要因とはなっていません。弦の強靭な歌もみごと。音に鋭いキレがあって、両端楽章やスケルツォの力強さはいうまでもないでしょうが、特筆すべきはアンダンテにおける精緻で透明感のある音色です。五十年代なかばにこういう演奏をしていたとは、おそるべし「マーラーのオーケストラ」。

それでは心臓発作で死にかけた直後のケルン盤には病の翳がさしているのか――というと、むしろニューヨーク盤に比べても一種異様な気迫がこもっており、これが「長生きしたかったら指揮は控えて」といわれていた病み上がりの老人の演奏かと思います。死を前にした火星人の、マーラーに対する執念のなせるわざでしょうか。

わたしがスケルツォ―アンダンテの順に――ひいては、スケルツォのあとに続くアンダンテの音楽に感じられる後味のような苦み、アンダンテとフィナーレのグロテスクなまでに強烈なコントラストに――なれているからそう思うのかもしれませんが、これをひっくりかえすと良くも悪くも端正な感じがします。ニューヨーク盤とケルン盤の違いがあるとしたら、それは大病の前後という問題もさることながら、中間楽章の前後に基づく解釈の変化による部分が大きいようにわたしには感じられました。

世間でもてはやされるほどミトロプーロスマーラーを買う気はわたしにはありませんが、この二つの悲劇的は、翌年の第八交響曲の第二部とならんで、この指揮者によるマーラー演奏の白眉というべきものです。