第三の男

チャイコフスキーの第五交響曲といえばチェリビダッケムラヴィンスキーで決まりです。個人的には、チェリ様さえあればいい、といいたいところではありますが、ムラヴィンスキーを無視するわけにも行きますまい……このふたりの演奏は凄さが突き抜けすぎていてまさしく他との比較を絶しています。

ではそれ以外の演奏は以下同文、というのもさすがにちと乱暴でしょう。わたしがもうひとつ挙げるとすれば、マタチッチです。

この指揮者の同曲異演は色々あるみたいですが、わたしが好んで聴いているのはザグレブ・フィルを振った一九七五年のライヴ(CROATIA RECORDS)。厳しすぎるくらい厳しいチェリ様やムラヴィンスキーに対して、血のたぎりを感じさせる大胆な即興性と骨太な雄大さとが共存した対照的な芸風ですが、ただの「豪快な演奏」ではありません。三楽章のワルツなど、さぞやゴツい演奏だろうと思っていると、意外なくらい情味豊かで、こぼれるような愛嬌を感じさせるのがまたニクい。

この盤は音質が今ひとつなことに加えて、オケの技量のほどがいかにもB級チックというキズがあります。ガークやブヤノフスキーと比べたら可哀想だとは分かっちゃいても、二楽章のホルンはあまりといえばあんまりな出来(何なんだろう、このユーフォニウムみたいな薄っぺらい音色は……)。それでもあえてこの演奏を選びたくなるのは、燃えに燃えて一丸となったオケの踏み込みの強い表現力ゆえのことです。その点、同じ年のN響とのライヴ(ALTUS)は、アンサンブルのまとまりに関してはザグレブ・フィルの上を行っているものの表現の自発性に乏しく、相対的にいってその分面白みに欠けるようにわたしは感じました(ただし、ホルン独奏はおみごと。千葉御大でしょうか)。

ザグレブ・フィル盤で特に印象的なのは、ウインド・セクションや内声部の自由で大胆な表情の歌わせ方で、これだけ好き放題やって全体から浮いてしまわないのは指揮者の手綱さばきの確かさというべきでしょう。骨法がよほどしっかりしているからこそ、即興的な表現も生きてくるのです。