ティエリ・ド・ブリュノフ

青柳いづみこ女史の『ピアニストが見たピアニスト』では、チラッとですけど、コルトーの秘蔵っ子、ティエリ・ド・ブリュノフのことも紹介されていました。

……『象のババール』で知られる童話作家ジャン・ド・ブリュノフの息子である。やはりコルトー門下でパリ音楽院にすすみ、ショパンシューマンの演奏ですばらしいレコードを残したところで、ベネディクト派の修道院にはいってしまった異色のピアニストだ。*1

たとえばフランソワがコンセルヴァトワールに入学した時点でどうやらコルトーの手を離れているのに対して、ブリュノフはそれ以降もローザンヌコルトーの自宅まで通ってレッスンを受けつづけていたようです。*2同じ「コルトーの教え子」ではあっても、彼は格段に色濃く師匠の血を引き継いでいる、といえそうですかね。

数年前、仏EMIのラリッシム・シリーズで二枚組CDが復刻されました(cf.→AMAZON)。取り上げられた作曲家は、ウェーバーショパンシューマンショパンは、コルトーが亡くなった翌年、師の思い出に捧げられたブリュノフのデビュー・レコードでもあります。

青柳・遠山両女史が「すばらしい」という留保なしの賞賛を捧げているのに対して、ネット上で読むことができるブリュノフの盤評はあまり芳しくないものが多いようです。曰く「フランソワに対抗するかのようなあざとい解釈」と。

「あざとい」とは何をもってそう決めつけるのだろうか、いぶかしまれます。たとえばダヴィッド同盟舞曲集。これがフランソワだったら徹底して自分流に崩して弾くであろうフロレスタンの曲の(シューマン嫌いにいわせれば「くどい」)リズム・パターンを、ブリュノフはむしろ愚直に処理しているではありませんか(もっとも、こういう部分は率直にいってそれほど魅力的には感じません――まだ三十かそこらのピアニストなのだからこんなものかと思って聴いておいたほうが良い)。

わたしがまず感じたのは、このピアニストの「持ち音」の豊かさです。ふくよかでソノーラスなタッチ、そしてハーモニーの微妙なひびきや推移感に対してのこまやかな感受性が全体に顕著です。たとえば第四バラードの[7:36]から、息をひそめるようにテンポをぐっと落としていますが、それはハーモニーがゆたかに広がることを要求するのに応えているのであって、恣意的なうたに酔い痴れんがためではありません――それにしても、これはなんと美しい瞬間でしょう。こういうところに、わたしはコルトーの遺伝子を見る思いがします。

特筆したいのは、ショパン舟歌です。ショパン晩年の追憶的な性格をもつ楽曲は、思い出のかわりに輝かしい未来しか持たないような若いピアニストが弾くと、どうしてもまだ青いという感じがしてしまって、物足りなく思われるのが大抵なのですが、ブリュノフはここで、師のコルトーとも、ほかの誰とも違う彼ならではの境地に達しています。

[3:02〜]を聴いて、覚えずゾクッとしました。これはイマジネーションなどというものではありません――異界が、眼前にひらけたのです。

あやういおののきを秘めた、静謐な陶酔と法悦。どういうわけか懐かしく感じられて仕方ない、穏やかな光のようでもあり、ほのかな翳りのようでもある何かの遍在――それは、けだし死の甘美さです。

いったん気付くと、死の感覚とそれに対するあこがれにも似た心情は、ブリュノフの弾く音楽のそこかしこに見出されることに気付きます――思うのですが、ブリュノフは幻視者であったと同時に、死に魅入られていたのでしょう。

『ピストルか、十字架か、作者はどちらかを選ぶほかないであろう』

彼の演奏を聴いてゆくりなくも思い浮かんだのは、ユイスマンスの『さかしま』を一読したバルベー・ドールヴィイが吐いたと伝えられる言葉でした。蓋し、回心は必然の出来事だったのです。

*1:中公文庫版では二八二頁。

*2:遠山慶子/加賀乙彦『光と風のなかで 愛と音楽の軌跡』(彌生書房)九十九頁による。