フーベルマンの楽器

以前こんなことを書いたので、自分でも気になって少々その辺の事情を調べていたところ、一九三六年のギブソン盗難は「リサイタル中、フーベルマンが舞台でグヮルネリウスを弾いている間」になされたのだそうです。それではギブソンはただ持っているというだけで普段弾いていたのはグヮルネリだったのかというとそんなわけでもなく、コンサートの前半、バッハの協奏曲はストラドで弾いて、休憩後グヮルネリを携えてフランクのソナタを弾いていたのだとか(詳細はこちらをどうぞ)。

ハイフェッツはグヮルネリウス一辺倒で、ストラドも持ってはいたけど弾いたっていい音が出なかった(とは江藤俊哉談)し、ティボーやエルマンは後生大事に嫁入り道具のストラドを弾き続け、といった具合に名ヴァイオリニストはストラド党、グヮルネリ党に二分される例が多いそうですが、フーベルマンは両刀遣いだったんですね。

とすると、遺された録音はどちらで弾いていたのかが気になってきます。フランクがグヮルネリだとすれば、チャイコフスキーブラームスもグヮルネリでしょうか。一方、一九三四年に録音されたバッハのふたつの協奏曲はかのギブソンで弾かれたものとみなしていいはず。同時にレコ―ディングされたモーツァルトの第三協奏曲もおそらくストラドで弾かれているのでは――

こうやって見てゆくと、フーベルマンの代表的録音とされるものは大抵グヮルネリウスで弾かれたと思しき演奏の方であることに気付かされます(わたしにはそーゆう耳がないので断定はできませんが、クロイツェルやスペイン交響曲もたぶんそっちでは)。上記の(おそらく)ギブソンで弾かれたものはというと、フーベルマンが弾いているというだけで個性的にすぎると思われがちですし、ファンはファンで「どうせフーベルマンを聴くならチャイコフスキーやラロの協奏曲に限る」となる(たとえばあらえびすがそう)ので、どうも冷や飯喰らいのポジションに置かれている気味があるのです。

フーベルマン同様の両刀遣いであった江藤俊哉によれば、ストラドを弾くときは楽器の持っている音を引き出すように、グヮルネリウスは自分を出したいときに弾く、のだとか。そういうつもりで聴けば、特にモーツァルトで、フーベルマンはみごとな手並みを披露しています。このモーツァルト、わたしはけっこう好きです。バッハのことを聞かれるとちょっと返答に困りますが……(^^;

最後に残る大きな謎は、ギブソン盗難後にフーベルマンが弾いたモーツァルトの第四協奏曲のライヴ録音、これがどのヴァイオリンで弾かれたのかです(笑)。小林センセイにはこういう難問をこそ判定していただきたかったなァ……