チェリビダッケとフランス国立放送管(一)

そろそろ好き放題行きます。

チェリビダッケは一九七三年から七五年にかけてフランス国立放送管にしばしば客演しました。その記録が、以前からぽつぽつ出ていたのですが、最近集中的にリリースされました(もっと出るのでしょうか。だったらうれしいのですが)。これがすごい。

歴代シェフのアンゲルブレシュトやマルティノンなどの演奏で聴く限り、このオーケストラはパリ音楽院管と比較して良くも悪くも穏当な個性の持ち主で、安定感は結構あるけれど印象は今ひとつ鮮明でない憾みがありました。

ところがチェリとの共演では、はまるととんでもない名演奏になります。しかも結構な高打率。よほど波長があったのだと思うほかありません。チェリビダッケにとっても、共演したオーケストラがここまで自発的な集中力を示した例はきわめて稀だったのではないかと思われます。この出会いが両者にとってまっことかけがえのないものであったことは疑われません。

ほんの二年足らずの蜜月はいかにも短すぎましたが、遺された演奏を聴くたびごと、短く終わらざるを得ない何かをはらんだかと思われてくる狂熱に圧倒されます。誰だか分かりませんが、マニア氏が力瘤を入れるだけのことはあります。

最近聴いたなかで度肝を抜かれたのは、何と言ってもラ・ヴァルス(一九七四年ライヴ、WORLD MUSIC EXPRESS; WME-S-CDR-1105/6)です。

「ANFから一九七六年ライヴが出てたやん、どうせあれと同じもんなんちゃうの」とお思いの方もいらっしゃることでしょう。わたしも最初はそう思いましたし。しかし実際は別演奏でした。そしてこれが本当に同じ顔ぶれの演奏かと思うくらい様相を異にしているのです。

このオケにおいてスウェーデン放送響やシュトゥットガルト放送響と一線を画しているのは、きわめて自発的なノリの良さでしょう。オーケストラ全体の響きに一体感があり、チェリの棒を咀嚼して自分の音楽としおおせています。管が上手いのは言わずもがなか知れませんが、弦の豊かな音色が(わたしたちの考える)「フランス」離れしていることには驚かされます。パリ音楽院管のペラッペラの弦とは比較になりません。全体として機能性やひびきの固有色において表立ったものがあるわけではないのですが、きわめて表情が豊かで艶っぽいことは特筆すべきでしょう。

このラ・ヴァルスですが、まあとにかく凄まじいの一語につきます。チェリ様は例によって例の如く叫びまくってますが、オケも負けてはいません。キレのあるオーケストラ・ドライヴには鬼気迫るものさえ感じられるでしょう。あやういまでの高揚と耽溺とがめくるめく振幅をともなって交錯しますが、集中力が一貫していて、全曲は強い一体感と迫真性とを得ています。クライマックスは、最後に待つものは死であるとしか思えない法悦です。

ANF盤はこの演奏と比べると大分おとなしいもので、チェリの「癖」のようなものはきわめて丁寧なこちらの演奏によりはっきりと現れているのですが、あのもの狂おしさは見出すべくもありません――どうもこれはフランス国立放送管の演奏ではないような気がします。おそらくシュトゥットガルトではないでしょうか。比較してオケの咀嚼力において遜色があり、こちらはチェリの指示を音にすることに汲々しているかの感なしとしません。管の少々生硬なアゴーギグがオケ全体から浮かび上がっています。