チェリビダッケとフランス国立放送管(二)

先日取り上げたラ・ヴァルスが収められている(WME-S-CDR-1105/6)は二枚組CD-Rで、一九七四年十月の演奏会をアンコールまで収録したものです。

(アンコール)

協奏曲の独奏者はフルニエで、おそらくARLECCHINO等から出ていた音源かと思われますが、他は初出ではないでしょうか。

わたしの最初の目当てはデュティユーでした。チェリが取り上げていたこと自体は知っていたのですが、こうして耳にすることができる日が来るとは。長生きはするもんです。聴いてみたいと思った動機は正直なところ好奇心の域を出なかったのですが、蓋を開けたらこれがまた壮絶な演奏で、ラ・ヴァルスに優るとも劣らぬ出来かと思います。チェリはレパートリーが広くないという偏見を抱いている向きにはこういう演奏をぜひ聴いていただきたいもの。

何といいますか、現代音楽を聴いているような気がしない演奏です(最大限に肯定的な意味で)。

ゲンダイオンガクというと手の込んだ不協和音の刹那的な連続――といった印象があるのですが、チェリビダッケは一音一音の関係性にいたるまでゆるがせにせず、音楽を動的に把握して力強い方向付けを施しています。表情は彫りが深く、きわめて濃密。このコンビの化学作用には真に驚くべきものがあり、渾身の喝!を叫ぶチェリ様に応えてオケも燃えに燃えています。放送局付のオーケストラとして「お仕事」で現代曲を演奏する、というおざなりさは微塵ほども感じられません。終曲の、血沸き肉踊る劇的な昂揚は圧巻で、冒頭モティーフが回帰する直前のヴァイオリンの陶酔的な歌など、肉感的でさえあります。そして息もつかせぬクライマックス――これのあとにあのラ・ヴァルスが来るんだから、恐ろしいまでのものがあります。

この曲、わたしはビシュコフ/パリ管のPHILIPS盤を聴いたことがあるのですが、チェリと比べるとあまりのぬるさに違う曲を聴いているのかと錯覚しかねません(熱くないビシュコフとはまた微妙な……)。

いわゆる作曲家の余技(ブーレーズ、ツェンダー)やら現代音楽プロパー(ロバート・クラフト、ギーレン……は作曲家だったけ)やらの、スコアを右から左に音にしただけという無味乾燥なスタイルとは一線を画した鮮烈きわまる演奏っぷりで、こういう棒で聴いてこそ音楽の内実が聴く者にひしひしと伝わってくるのだなあと、わたしのような楽譜をよう読まない人間は思う次第です。

ただ、WORLD MUSIC EXPRESS(以下WME)というレーベルはどうも編集が杜撰で、この演奏においても「間」をはしょるは終結でわけのわからないテープの継ぎ張りをしでかすは(別録音の拍手をくっつけようとしたのか?)とやりたい放題。いくら海賊盤だからといってあまりいい気はしないのですが、不思議と音質自体は結構生々しく、繊麗というには無理があるとしても音色感や迫力が如実に伝わってきます。

  • VIBRATOからも同曲の音源が出ていて、こちらのオケはシュトゥットガルト放送響と表記されていますが、喝の入り方が一致しているためWME盤と同演奏だと思います。こちらは編集の瑕こそないものの、何とも音が冴えません。盛大なヒスノイズ、強い歪み、色彩感が感じられないざらざらした音の感触。後者が結構良い音なのでいかにも聴き劣りします。看過しがたい瑕疵があるにもかかわらず、演奏内容がよく分かるのはWME盤の方でしょう。