残暑お見舞い申し上げます

という季節になって猛烈に暑くなってくるとはどういうわけか。ともあれ季節はずれにならないうちにブエノスアイレスの夏を聴いてみます。

なにしろ「ピアソラのスタンダード」だからアレンジ(自作自編)も色々あるはずで、最初期ヴァージョンとかカチョ・ティラオがぼよんぼよーんとアドリブっぽいことをかましているレジーナ劇場ライヴとか細かいことを言い出したらきりがない(し、わたしもそんなに色々聴いていない)ですが、大雑把に言えば初期キンテート版(Ⅰ)、コンフント9版(Ⅱ)、後期キンテート版(Ⅲ)の三つになるでしょう。それぞれに良さがあると思いますが、(Ⅰ)は中間部のバンドネオン独奏のあと、もうこれで終わり?となってしまう感は否めません。(Ⅱ)は演奏の魅力と切り離して考えることの出来ないヴァージョンで、キチョやタランティーノ、そしてアグリの名人技が炸裂していますが、九重奏という大きなオモチャを手にしたピアソラのやりたい放題、というかアイデア垂れ流し状態という印象はなきにしもあらず……かなあ。

結局のところわたしが好きなのは(Ⅲ)で、雰囲気こそ結構異なれ主部―中間部という流れは大筋(Ⅰ)に共通しますが、バンドネオン独奏のあとは一分足らずで終わってしまう(Ⅰ)に対し(Ⅲ)はここからまだ半分以上残っています。「展開感」といったらなんですが、かなりカッチリ書かれていて、とりわけ五分前後からバンドネオンとヴァイオリンのソロが絡んでクライマックスに至るあたりのカッコエエ音の運び方にはしびれます。この曲を聴きたいなあ、というときはここが目当てのようなものです。

このヴァージョンの演奏はそれこそなんぼでもあるはずですが、一九八三年ウィーン・ライヴ(PLATZ)はさすがに完成度が高いです。前年の東京ライヴ(PJL)も良い演奏なのですが、比較してしまうと最後のアンコールということもあってかピアソラの指回りが少し重く感じられます。

他人のアレンジですがラウル・ガレーロ(EMI)の演奏も結構好きで、自作曲ではピアソラ張りにフーガを書いたりするガレーロならではの手の込んだ編曲です。しかるにクラシック畑の演奏家ピアソラやるとイージー・リスニングになってしまうのは一体どういうわけでしょうか。そもそも奴ら編曲からして他人任せなんだからタンゲーロとは出来が違うということになってしまうのです。