冷静になるまでもなく

とっつきにくい文章ですな<わたしの残暑見舞い

少し反省して……

普段タンゴを聴かないけどアストル・ピアソラの名前くらいはご存知の方は結構多いのではないでしょうか。一昔前にクラシックの世界で所謂「クロスオーヴァーもの」としてピアソラが流行しましたから。猫も杓子もピアソラピアソラ。わたしも当時、演奏会のアンコールなどでしょっちゅう聴いています。

しかしその頃は、まるではまらずじまい(この頃開眼してたら、今は入手しにくいあんなCDやこんなCDが手に入っていたのに……ホンマくやしいです)。

理由は簡単。だって他人のピアソラだったんですもの。

やはりピアソラピアソラで聴いてナンボ。昔のわたし同様アンコールか何かで聴いたことはあるけど……、とか「某眼鏡チェロ弾きがCMで弾いてたのって、あれピアソラだったけ」とかいう方には、ぜひぜひピアソラ自身によるピアソラを聴いていただきたいです。全く別物ですから。どれくらい違うかというと、バニ○ムードのボレロとチェリ様/ミュンヘンのとくらいの異次元っぷりです……ちゅうか一緒にすんなボケ!!!

……ふぅ……はぁ……ぜえぜえ……

少し冷静になって、ではわたしの場合初・自作自演は何だったかという昔話をいたしましょう。

例の十枚組です(クラシック聴きでも「ああ、あれね」とピンと来る方が多いのでは)。

はっきしいって他人には薦めません。何しろCD十枚というと何聴いても同じに聴こえてしまいます(これは裏返していえばピアソラの個性の強烈さを示すのですが。たとえばハイドン交響曲が一見どれも同じように聴こえるのと一緒です)。曲名表記がスペイン語のみなので、わたしのようなド素人でも名前くらいは知ってるブエノスアイレスの四季ってどれだろうか、探しても分かりません(ちなみに「夏」は Verano Porteño)。しかも間違いがありますし。あげくのはてには素性がアヤシイときたもんだ……

しかし、それぞれの曲名を調べようと思って手にしたのが斎藤充正氏の『アストル・ピアソラ 闘うタンゴ』だったことが、わたしのその後の運命を決定付けました。氏の懇切丁寧にしてピアソラを世に知らしめようとする熱い情熱に裏打ちされた本書を読みながら、随所で言及されている曲目・演奏を聴いてゆくことによってどっぷりピアソラにのめりこむようになったのです。伝記作品として傑出していることに加えてディスコグラフィーの詳細さ、適切にして押し付けがましくないきわめて良識的な演奏紹介、と三拍子揃った当書は全てのピアソラ・ファンのリファレンスと呼ぶにふさわしい名著です。

変な話ですが、タンゴ・ゼロ・アワーの輸入盤からピアソラを聴きはじめていたら当書にアクセスしていたか否か、それは知れたものではありません。あの粗製濫造盤を入手したからこそ、必要に迫られて……というわけだったのですから、縁とは不思議なものです。

かくしてわたしはアルゼンチン・タンゴの世界に入り込むようになりました。クラシックよりコアでマニアックでCDが入手しにくいという厳しい現実に泣いております(笑)。わたしにとって、ピアソラによるピアソラを聴くことは、チェリのブルックナーを聴くのと同じくらいすばらしい、魂の底からの昂揚を味わうことができる唯一無比の体験なのです。

ここで話を戻して、クラシックメインで聴いておられる方が、んじゃピアソラを聴いてみようじゃないかとおっしゃるのであれば、わたしはアストル・ピアソラ ライブ・イン・トーキョー1982をオススメします。斎藤氏のかゆいところに手の届くような解説、名曲揃いのラインナップ、演奏水準の高さ、と言うことなし。あえていえばリベルタンゴがないのがちょっと残念かもしれませんが、それ言ったらタンゴ・ゼロ・アワーにだって入ってなかったですしねえ(アディオス・ノニーノさえも!)。