ピアソラ/ゴジェネチェ

「よれた声」とか「淀んだ歌い口」と書いてあるからそれなりに覚悟はしてたつもりだったけど、予想を越えてすごいことになっていたロベルト・ゴジェネチェ。ピアソラと共演したリサイタルのライヴ録音ですが、何がすごいってマーキュリー録音のシゲティもびっくりの崩壊っぷりなのです。

音程のことは今更どうこう言いますまい。これに比べたらプライのフラット癖なんか可愛いもんですわ。それに加えてどもって巻き舌になる呂律の怪しさ、フレージングする気が最初からないとしか思えない、語るというか投げつけるような歌い口――といった具合で、ちょっと聴きは、まさに酔っ払いのカラオケ以外の何物でもありません。

しかしこれが慣れてくると(結構慣れますよ、大丈夫大丈夫)クセになるんですな。

クラシックの歌手が強いられている非常な節制は歌唱水準を維持する上で必要欠くべからざるものであるかもしれませんが、それが人生経験の幅を抑える面がないとは言いにくいでしょう(幅があればいいと言うのではありませんが)。ゴジェネチェの声は、歌手がやってはいけないこと、やらないにこしたことはないことも存分にやってきたポルテーニョブエノスアイレスっ子)の人生を背負っています。オペラ歌手が晩餐を早めに切り上げて、加湿器の利いたホテルの一室で発声練習しているときに、この人は場末の酒場の暗闇に沈潜して人生の悲喜交々を味わいつくしていたのだなあ、と――これはあくまで憶測ですが、そのように妄想させるものがゴジェネチェの歌にはあります。声の衰えさえもが、ゴジェネチェにあっては身を以て生きた悲哀、情熱、感傷のあらわれなのです。声のコントロールをすっかり失ってしまいましたが、それにも動じることなく達観しきったかのような歌いぶりには、ブエノスアイレスの地霊がゴジェネチェという器を借りて自らの真実を語っているかと思わせる瞬間があります。

こういう味は出そうと思って出せるものではなくて、出てくるまで待つしかないものだと思います。このジョイント・リサイタルが敢行された一九八二年、ゴジェネチェは五十六歳でした。わたしは当盤と『スール』の劇中歌唱でしかこの歌手を知らないのですが、技術的にはとんでもなく悲惨なことになっているにもかかわらず、芸の力、一瞬にしてブエノスアイレスの夜の空気を濃密に漂わせる強烈な表出力においてゴジェネチェは彼の芸のピークにあると思います。

どの曲もすごいのですが、とりわけ『悲しきゴルド』の泣いているかのような声音、決然たる言葉の投げつけ方は圧倒的で、場末の貴族、たぁトロイロと同じくらいゴジェネチェにふさわしい呼び名だなあと思います。むちゃくちゃカッチョエエです。