チェリビダッケとフランス国立放送管(七)

ルーセル第三交響曲も、WME盤(WME-S-CDR-1125)が初出のレパートリーです。以前ちらっと触れたようにEMI正規盤の小組曲とヘ調の組曲があまりにすばらしかったので、演奏記録の伝わるシンフォニーをぜひ聴いてみたいものだと思っていたところでした。ルーセルの音楽は少々とっつきにくいかもしれませんが、力強いリズムの呪術的な反復を通して強烈な昂揚へと至るこの作曲家の緻密な構造書法はチェリビダッケと相性がきわめて良かったと思います。

音質は(WME-S-CDR-1105/6)と同傾向で、年代のわりに極めて生々しく、少々気になるデジタル編集上の瑕がありますが、音楽を堪能する分には十分以上です。

演奏は十分以上に気合が入っており、リズムは彫りが深くて重厚といって良いくらいであるにもかかわらずキレがあります。ついで印象的なのが明晰なアウトラインで、リズムのもたらす強い推進力と、入念に心配りされた自然な推移感とによるものでしょう。壮麗にして雄渾きわまる出来です。

両端楽章もさることながら、とくにインパクトの強いのが二楽章。この異常なまでの濃密さは何なんでしょう。堂々たる大河のような起伏です。


これに比べたらブーレーズ/ニューヨーク・フィルCBS)はとにかく薄いです。マンディアルグ風に言えばテニスンの重湯もいいところですわ。推進力のスの字もないリズム(特に一楽章)。盛り上がりきらないクレッシェンド。これはルーセルじゃない、というようなことはいいたくありませんが、ここまで来るとそれ以前の話というものでしょう。

デルヴォーの第二交響曲のオマケでくっついてきたクリュイタンス/パリ音楽院管(EMI)の演奏ですが、木管ばかり耳につくまとまりのない響きはオケの個性やミキシングの加減というよりは指揮者の耳の如何にかかわっているかと思われますし、お互いに相異なるテンポ間に有機的な連関がないことや、たとえば二楽章中間部の対位法的な部分でテンポが浮付いてしまうことなど、解釈的にも――いや、解釈以前の作法において――疑問があります。ただし実に洗練されたパリ音楽院管のウインド・セクションを聴く分にはそれも怪我の功名というものでしょうか。

アンセルメ/スイス・ロマンド管(DECCA)は少々軽い感じの演奏ですが、誰かさんなどとは比較するのも申し訳ないくらいこの指揮者が確かな耳と精緻なテンポ感とを有していたことは明らかです。