余談

ARCHIPEL盤のダヴィッド同盟舞曲集は一九四二年録音とクレジットされていますが、ギーゼキングディスコグラフィー先述のTAHRAのCDにくっついています)を確認すると、一九四七年以前のこの曲の録音は存在しません。このレーベルらしい誤記といってしまえばそれまでですが。

それでは、とあるサイトでギーゼキングダヴィッド同盟舞曲集の「一九四二年録音」が正々堂々とアップロードされているのは一体どういうわけでしょう――いや、これはただの偶然とは思えませんなあ。

わたしは著作権のことには疎いですし、五十年以上前に亡くなっているギーゼキングの演奏録音の著作権が切れていることは承知の上ですが、仮に未だ隣接著作権が切れていないはずのARCHIPEL盤のデータをファイル変換してネット配信しているのだとしたら、それって法律的にはどうなんでしょうかねえ。

(もっとも、ARCHIPELの元ネタたるLPがあって、そこですでに録音年代の取り違いが起きている――という可能性も否定できません。何かご存知のお方にはご教示いただければ幸いです)

ご丁寧なことに、「第2次大戦の惨劇の中で、彼はどのような思いでこの作品を弾いたのでしょうか」だなんてケッサクな解説がついているのですが、いずれにしてもこれが戦後の演奏であることは皆さんご承知の上かと。「第二次大戦の惨劇に思いを致してこんな演奏になったのだ」とでも言いつくろうつもりでしょうか。

さらには「ギーゼキングといえども最初からあんなにも取り澄ました演奏をしていたわけではないのです」と念には念の入った恥の上塗りが。

TAHRAから出ている幻想曲を聴いてみましょう。早すぎるとはいえその死の一年前の録音ですが、これまたソフロニツキーばりの、情熱の奔流のようなシューマンです。あのダヴィッド同盟舞曲集は、若かったから激しい演奏になったわけではありません。そんなに問題を簡単にされてはたまったもんじゃありませんや。