ひとりごと

たまーに、旧仮名遣い表記のサイトがあります。

でも、仮名遣いが完璧というためしはまずありません。ああいうのを見ると「何こだわってるつもりなんだろうか」という気にならなくもないところで。

ふと思い出して「丸谷くん」というツールで自分の書いた文章を変換してみました。

……誤変換まみれです。以下、笑える変換例。ちなみにモーツァルトは「モオツァルト」になります。小林秀雄みたいで鼻につく。


チェリビダッケとフランス國立放送管(八)

以前取り上げたラ・ヴァルスの元ネタたるウヰンナ・ワルツをチェリビダッケは意外とよく振つてゐます。ラヴェルは元來パロディーだから善き市民たる紳士淑女が踊るにはふさはしくない危險きはまる音樂になつたのもむべなるかなですが、本家本元たる善男善女のための舞曲をチェリ樣はどう料理したのでせうか。

今囘はフランス國立放送管絡みといふことで一九七三年十二月三十日のライヴを聽いてみます。ジルベスタァコンサートの類でせうか、前半が六曲のシュトラウス・ファミリィといふプログラムでした(WORLD MUSIC EXPRESS, WME-S-CDR-1154/5)。

以下は第二部の演目でせうか。

  • シュウベルト=ウヱーベルン:六つのドイツ舞曲
  • シュウベルト:交響曲第五番

ミュンヘンデンマーク放送響との共演も聽くことのできる得意の≪かうもり≫が何といつてもすばらしいです。ウヰーン訛りなど藥にもしたくないといわんばかりの正攻法ですが、あくまで「チェリ樣の」正攻法なので、小クライバァの倍くらゐゆつたりとしたテンポで奏でられる短調のメロディーは哀感の深さ、なまめかしさをきはめて、弦の音色の切々とした訴へたるや、多情多恨の一語に盡きます。快活な部分のリズム感の鋭さ、格調、躍動感ともども、チェリビダッケ壯年の華を今に傳へる名演奏です。

他の曲も見事な棒で、これまた十八番のピツィカート・ポルカ瀟洒、霸氣にあふれるトリッチ・トラッチ・ポルカ、等々聽き所に缺けません。

音質はこれまで觸れてきた諸々のWME盤に比べるとややノイズが氣になり、時々フォルテで音がびりつゐたりしますが音の鮮度はまづまづです。いつもの編輯ミスは今囘は少々控へめですかね。


まだ他にも間違いあるか知れませんが。

しっかし、自分の文章を正字旧仮名にしても実にしまらないこと夥しいです。気分は齋藤磯雄、には程遠い……