私的十大レーベル(一)

きのう挙げた「心のふるさと」的レーベルが口からでまかせだったとは何となくお察しの方もおありかと思いますが、よくよく考えてみるとわたしの趣味をかなりの程度で反映していると認めざるを得ません。これらのレーベルのCDを聴きあさってゆく過程でわたしの嗜好が形成されていったのだということは言えそうです。

というわけで昨日の脱線をもう少し引っ張って伊ARKADIAについて。

LPからCDへの音楽メディアの推移がもたらした副産物のひとつとして、一九九〇年代初頭の海賊盤レーベル大乱立が挙げられるでしょう。これは個人的なこじつけか知れませんが、プレス・コストの下落がレーベル側のリリース意欲を刺激した一方で、聴き手もCDを何枚も買い集めて聴き比べる余裕が生まれた結果「第九はバイロイト」「田園はワルター」といった名曲名盤的価値観から脱却して演奏を「面白がる」傾向が強まり、需給の相互刺激によってブートレグ黄金時代が現出した――ような気がします。ARKADIAはまさしく当代の東の正横綱格というレーベルでした。

(今の若い人は知らないかもしれませんが、チェリの死んだ日なんかタワーではチャイコフスキーの五番だかリスボン・ライヴだかをかけて緑だの何だのを売りまくってたもんです)

よくも悪くもラテンなノリのレーベルでした。中身はクナッパーツブッシュフルトヴェングラーからブーレーズアバドまでという無節操の限りを尽くし、モノラルの音が右チャンネルと左チャンネルのあいだを行ったり来たりするのは日常茶飯事(これが結構気持ち悪い)、ジャケット裏に「マスターピース」とか書いてあるのがマジなのかウケを狙ってるのかも定かではない、というアヤシサ炸裂っぷりは他のレーベルの追随を許さないものがありました(あえていえばKYOUNが張るか……)。ちなみに、「ALL WE NEED IS LOVE」はCDレーベルに麗々しく刻印されてます(プロフィールの写真では分かりにくいですが)。

チェリが亡くなった前後、著作権法が改悪されて五十年未経過録音がバタっと市場から姿を消し、ARKADIAもSP復刻など遵法レーベルに看板を架け替えましたが、アルカディアアルカディアたる所以はもはや感ずべくもありませんでした。南無。

チェリ様の僕的にはここから出たのが最初で最後という少なからぬ録音が気になります。韃靼人の踊りやルーマニア民族舞曲、イタリアのセレナーデなどはわたしも聴けていません……

わたしの聴いたなかで「良くぞ出してくれた」と言いたくなるのが、先日も軽く触れたベートーヴェンの七番のティーセン喜寿記念ライヴです。とにかく熱い(すでに触れたように前半楽章のみであることが惜しまれます)。

思わず、楽屋にノドアメ差し入れしたくなります(あと指揮棒も)。

さて、奇特きわまることにEMIがティーセンの≪ハムレット組曲をリリースしました。この第七交響曲と同じ演奏会の録音です。ということはですよ。このベートーヴェンも、前半楽章だけじゃなくて全曲揃っているかもしれません。

どっか出してくれないものか。

もちろんチェリ様だけでは終わらないアルカディア。わたしの大好きなエトヴィン・フィッシャーもラインナップ入りしていまして、吉田秀和翁が生を聴いたかという一九五四年ザルツブルク・ライヴのブラームスのピアノ・トリオ全曲はわたしの宝物です。

これが意外と音がいいんですよ(意外と)。

フィッシャー・トリオの録音は少ないながらもCD四枚分かそこらは遺されているのですが、音質の良くないものが多いためこれは非常に高ポイントです。

ブラームスはARCHIPELやAMADEOから出ていたバイエルン放送によるスタジオ録音より演奏、録音ともに格段にすぐれていますし、幽霊やシューマンの一番も素直な聴きやすい音質で、MUSIC & ARTSやORFEOのCDとこれが同じ演奏なのかと思うくらいです。大公もこの音で何とかして聴けないものか――と思わずにはいられません。

最後は無いものねだりになってしまった……