フルトヴェングラーのブルックナー(二)

たとえばコルトーショパンシューマンというと「時代がかった解釈」と指弾なさるモダーンな趣味に溢れた聴き巧者の方々が、ことフルトヴェングラーブルックナーに関しては演奏された時代背景に対する考慮を等閑に付しておられるような気がわたしにはします。

このことは、事実に反してフルトヴェングラー原典版主義者であるとみなされているという一事からも明らかでしょう。

わが国の場合、朝比奈翁が若き日に「ブルックナー原典版でなくてはならない」とフルトヴェングラーに説かれた――というエピソードが人口に膾炙しているためそのような錯覚が生じたのかもしれませんが、なぜか海のあちら側でも事情は五十歩百歩で、一九五四年のブルックナーの八番が改訂版ではなく(当時未出版であった)ノヴァークの版下による演奏であったと思い込んでいるような人間が二冊にわたる大部のフルトヴェングラー論を上梓していたりします。

もちろん、フルトヴェングラーの示唆がブルックナー交響曲全般についてのものではなく、正確には、翁が帰朝後指揮する予定であった第九番に関してなされたものであったことや、第九や第五は原典版で指揮した巨匠が第四や第七では改訂版を使用し続けたことはご存知の方も多いかと思います。

しかるに、それくらいのことはきちんと頭に入っているにもかかわらず、ジョン・アードイン(『フルトヴェングラー グレート・レコーディングス』の著者)はある明白な誤謬を犯しています。

事情を整理しましょう。すでに述べた通りフルトヴェングラーが一九四四年に指揮した第九の録音は原典版による演奏でしたが、それを遡ること十年、一九三四年に巨匠はレーヴェによる改訂版を称揚する一文を手記に認めているのです。

いずれこの間に指揮者のなかで心変わりがあったことは確かなのですが、アードインはそのきっかけをオーレル版の出現によるものとみなしています。

しかし、です。文献によるとこの一文が書き留められた一九三四年は、そのオーレル版が出版された年なのです。ハウゼッガー指揮ミュンヘン・フィルによる名高い原典版初演自体は一九三二年に遡ります。


≪レーヴェはまず第一に管弦楽法を柔軟化し、それによって内容がより明確に聴き取れるようにと心がけている。(……)この点に関し、原譜すなわち「活字」熱狂者は、レーヴェの行き過ぎであると主張する。しかし私は、(……)≫

以上、文章からも明らかでしょう。フルトヴェングラーはここで改訂版と原典版とをつきあわせて比較し、その上で前者に軍配を上げているのです。