フルトヴェングラーのブルックナー(三)

それではどうしてアードインはかかる錯覚に陥ったのでしょうか。

ひとつにはフルトヴェングラーが一九三九年に行った講演『アントン・ブルックナー』による影響があるでしょう。ここでフルトヴェングラー原典版、ことに第五のそれを高く評価しているため、原典版に対して積極的な指揮者であったかのような印象をアードインが受けるのもむべなるかな。

しかしそれ以上に重要なのは、現代の聴き手にとってブルックナー原典版があまりにも自明なものとなってしまっていることでしょう。弟子たちによる改訂は問答無用で改悪とみなされ、とくに第五と第九の「改竄版」はきわめて悪評高いです。

蓋し原典版の優位を刷り込まれた人間にとって「改竄版」に対してフルトヴェングラーが示した愛着は理解を絶する一事なのです。アードインは、フルトヴェングラーも第五や第九で改竄版を使わない程度には原典版主義者であったのだと思い込みたかったのではないでしょうか。

一方、フルトヴェングラーがデビュー・コンサートでブルックナーの第九を指揮したことは周知の通りですが、一九〇六年のことですから、無論レーヴェ版による演奏であったことは言うまでもありません。当時は第四も第五も第七もみんなみんな改訂版で、指揮者も聴衆も「原典版」があるなどとは思いもよらないままブルックナーを振り、聴いていたわけです。

そのような「改訂版がブルックナー」であった人々にとって原典版の出現が大きな動揺を与えたとしても不思議な話ではありません。フルトヴェングラーも、一九三四年というと四十八歳、三十年近い指揮者としてのキャリアを通じて当時としてもかなり積極的にブルックナーを取り上げていますし、その時点でブルックナー指揮者としてはかなり出来上がっていたとみなして大過ありますまい。強い衝撃を受けないわけがありません。

蓋し巨匠にとって原典版は「黒船」だったのです。前述の手記は、フルトヴェングラーの改訂版に対する愛着と、原典版に対する拒絶反応にも近いものをまざまざと伝えます。