フルトヴェングラーのブルックナー(四)

件の手記が記された年にフルトヴェングラーは第九を指揮していますが、おそらくレーヴェ版による演奏であったと思われます(このコンサートの準備として譜読みした感想がああだったとみなすのが自然でしょう)。

しかし、何度も述べてきたことですがわたしたちが聴くことのできるフルトヴェングラーの第九は原典版の演奏です。ルネ・トレミヌによるコンサート記録を調べると、一九四〇年にこの曲を取り上げた際も原典版によっていたことが特に記されています。

この心変わりにどのような理由があったのか、正確なところは伝わらないのですが、とりあえずひねり出せば――

  • 一九三九年の講演にもある通り第五のハース版(一九三六年出版)に感心して、原典版にたいする認識を改めた
  • 御用音楽学者ハースのエディションを使わざるを得ない空気があった

ただしどちらも決め手には欠けます。『アントン・ブルックナー』は公の場でのスピーチという性格上、必ずしも本音が現れたものではありません。その二年後の手記の方がよほど巨匠の真意を明らかにすると思います。これに関しては後述したいと思いますが、フルトヴェングラーのハースの仕事に対する評価は決して絶対的なものではありませなんだ。

かといって、一九四一年に第四をいつものレーヴェ版で振っている(この曲のハース版は第五と同じ年に既出)ことからも明らかなようにフルトヴェングラーには版選択を主体的に行う余地がまだ残されていましたし、朝比奈翁にああいう説教しているくらいだからこの曲は原典版で指揮するべきとある時点で意見を改めていたことに間違いはありません。

ともあれ、同世代の指揮者たち(たとえば概ね原典版に乗り換えたシューリヒトや改訂版にこだわり続けたクナッパーツブッシュなど)と比較してもフルトヴェングラーが版問題に対して示した迷いと振幅は際立ったものです。原典版主義者でないことは確かですが守旧派ともいえませんし、レコード芸術の没後五十周年記念特集で川崎高伸氏が強調した版選択に関する「見識」も、少なくとも一貫したものではありません。

「朝から晩までブルックナーの版がどうこうと言っているのは日本くらいなものだ」とはよく言われることですが、ことフルトヴェングラーに限って言えば、巨匠にとってそれがかりそめならぬ重大事であったことは疑われません。