これは鉄板ですね

そろそろフランクの手持ちも底をついてきました。

リヒテルボロディン四重奏団のライヴ(PHILIPS)では――彼らの共演が大抵そうであるように――リヒテルが主導権を握っていて、その存在感は圧倒的です。だからといってピアノがでしゃばっているというわけではなく、云ってみれば協奏曲の弾き振りをしているみたいなもので、リヒテルが音楽のフレームをかたどり、全体のバランスに心を配っているのです。たとえば一楽章では四重奏を「走らせない」リヒテルのにらみが利いており、多くの演奏に聴かれる燃焼的な表情とは一線を画しているため物足りなさを感じる向きがあるやも知れませんが、抑制的なタッチを重ねて構えの大きい荘厳なクライマックスをかたちづくるその手並みには真に並外れたものがあり、ジュリアードの阿呆どもにはリヒテルの爪の垢を煎じて飲ませたくもなる――というものです。

この演奏にあってとりわけ魅力的なのは二楽章でしょう。四重奏の自在感が増してくるのと相俟って、その濃密な情感の味わいは比類なきものです。