引用者はウソツキだ

オーパス蔵から出たブルックナーの第五の戦中ライヴに末廣輝男氏が『ブルックナー戦時録音』という一文を寄せておられます。今回はこちらを話のタネにさせてもらいましょう。

ここで末廣氏は日本におけるフルトヴェングラーブルックナー演奏に対する評価は不当に低く、「この事情はヨーロッパにおけるフルトヴェングラー評価とは全く逆といっていい」と述べておられます(ここまではフルトヴェングラーの信奉者に多い意見です)。

しかるにその原因を、かの地の聴き手が実演を聴いているのに対して、われわれ日本人が音質の悪い録音でしかフルトヴェングラーの演奏を知らないので、そのすばらしさが伝わらずに「アッチェレランドやリタルダンドといったテンポ操作だけがデフォルメされて浮き上がって見えてしまう」ためである――とするあたりは氏の新風とするに足りるでしょう。たしかに音質によって聴き手の印象が異なってくるということはありますから。

ですがこのデフォルメ化理論(と仮に略称させてもらって)、少々眉唾物ではあります。

第一、氏も後段で触れておられるようにフルトヴェングラーブルックナーも音質が悪いものばかりとは限らず、DGGのロマンティックや偽演疑惑の第八、そしてこの一九四二年の第五などは十分聴くに堪える音質です。ニセモノ疑惑が最近になってようやっと晴れたところの第八はともかくとして、第四第五はここ二十年ほど幅広く流通しており、決して限られたファンのみが耳にし得る「幻の音源」ではありません。

オーパス蔵の第五はたしかに聴きやすい響きですが、DGG盤やメロディア盤だってそんなに悪い復刻ではなかったはず。DGG盤でこりゃアカンと思った人の印象が好転するほどとは思えませんね――つまるところ、これらの録音を聴いても、フルトヴェングラーブルックナー演奏に対する日本人一般の認識は残念ながらあまり変化しなかった、というのがほんとうのところではないでしょうか。シカノミナラズこの第五がまさにアンチからもっとも毛嫌いされているところの「問題」演奏なのだから世話はありません。

以上から、少なくとも、音質がよければフルトヴェングラーの演奏に対する意識もそれに比例してよくなるはず、という仮定には成立の余地がないと断じても大過ないでしょう。日本人の多くがフルトヴェングラーブルックナー演奏に対して感じる違和感は、蓋し録音の「印象」よりもっと根深いところに由来するのです。

もう一点、われわれ日本人が弱いとされる「本場の評価」について。

たとえばこれがベートーヴェンブラームスの演奏についてであれば、実演とレコードの情報量の格差というのはどうにも埋めがたいものがあるわけですから、ナマで聴いている人の意見にその分重みがあることは云うまでもありません。

しかしブルックナーの場合、原典版がアタリマエのものとなったわれわれ後世の者と、今から五十年前の聴き手とではそもそも音楽を感受する基盤が異なっているのです。ふだん朝比奈翁のハース版による演奏でブルックナーに慣れ親しんでいる聴き手がフルトヴェングラーの演奏に対して感じる「違和感」が、当時の聴衆にとっては耳に馴染んだものであったとしたら――彼我の評価に断絶が生じているとしても、違っているのが当たり前であってどちらがより真に迫っているという問題でもありますまいし、その違いは「実演」と「レコード」の差よりも五十年という歳月の流れによってより良く説明できるはずだとわたしは思います(ただし、われわれ日本人が欧米の聴き手と比較して随分とブルックナーの版に「うるさい」ということが朝比奈翁や金子建志氏によってつとに指摘されている点は注意しておいても良いか知れません)。

最後になりますが、「本場」では「早い時期からあれこれと注文や批判が絶えなかった」と末廣氏が語るフルトヴェングラーベートーヴェンについても。

巨匠が「あなた(アンセルメ)はバルトークばかり、わたしはベートーヴェンばっかり振らされる」と冗談半分にグチをこぼしていたことは皆様ご存知の通りですが、それも聴衆の好評と期待をうけての結果であったことは言うまでもありますまい。戦後、ベルリン・フィル復帰コンサートで取り上げたのがオール・ベートーヴェン・プロだったことも、わざわざ指摘しなくてはならないでしょうか――フルトヴェングラー自身ベートーヴェンに対する思いは深かったし、身近な人間は、彼の前ではどんな些細なことでもベートーヴェンを悪く言ったりすることはできない空気があった――と伝えています。

いっぽう、どのような注文や批評が「絶えなかった」というのか、わたしは寡聞にして知りません(そりゃ蓼食う虫も好き好きといいますからフルトヴェングラーベートーヴェンが好みではなかった人だっていたことでしょうけど)。

タイトルにあげた、イタリアかどこかの箴言を思い出しますね――もちろん、自戒の言葉として、ですが。