ある記録

先日とりあげた田中希代子の『エジプト風』は一九六五年、彼女の全盛期の記録でしたが、同じCDに収録されたサン=サーンスの第四協奏曲は一九六八年、すでに膠原病が発症していた時期に病身をおしての出演です。伴奏はディーン・ディクソン指揮のN響

これは平静な気持ちでは聴けない演奏で、商品として聴くことができたことにも、単純には喜べないものがあります(それにしても罪作りなカップリング……!『エジプト風』ではじめて田中希代子を聴いた人には、CDの続きを聴くのは、せめてベートーヴェンの協奏曲やドビュッシーの『花火』などで全盛期の彼女の姿を心耳にしかと焼き付けてからにしてもらいたいような気がします)。

いつもの彼女ではないのが当たり前で、一楽章はそれでも必死に持ちこたえたのですが、二楽章はこれまで聴いてきた彼女の演奏からは想像もつかないような破綻がそこかしこで起きています……あげつらっていうのではありません。ただただ、いたましさが激しく胸を突き上げます。

何の予備知識もなしで聴けば、たぶんオケのひどさにも辟易とすることでしょう。しばしば、リズムはノタクタとした拍節感のないカオスに陥り、ピアノともあまり息が合っていません。ディクソンとは何と無能な指揮者であることか、とさえ思いかねない――しかし、高熱と激しい体の痛みで気息奄奄のピアニストが必ずしも打ち合わせ通りのテンポで弾きとおすことができなかったであろうことは想像するまでもありませんし、そもそもオーケストラとの合わせも十分ではなかったのではないでしょうか――だとしたらむしろ、なんとかうまくつけているくらいなのかもしれません。

わたしがそのことに気付いたのは、二楽章のオーケストラによる間奏部 [4:05〜] を聴いてのことです。唐突にさえ感じられる空気の変化にはっと胸を衝かれました。弦楽合奏は、さながら泣き濡れた眼にうつった映像のように、灰色の靄に朧と覆いつくされています。その心の底が抜けたかのように深い悲しみはサン=サーンス本来の明晰な様式性からは逸脱しているやもしれませんが、かかる真情を響きに託することができるディクソンは疑うべくもなくひとかどの指揮者です。

わたしには、これが、今その場でピアノを弾いている田中希代子への哀歌であったかのように思われてならないのです。勿論それは、彼女のその後を知っている後世の人間の思い込みでしかありません。しかし、ディクソンも全盛期の彼女を聴いたことがあったとすれば、ここで起きている異変に気付かないはずはないでしょう。同じことはオケマンについても云えます。彼らの感じたであろう不穏な空気が、意識してか無意識にか、音に現れたのだとしたって何の不思議もありますまい……

間奏のあいだにひと息つくことのできたピアニストは、凛とした、情感に溺れたところのない端正なうたい口で、オーケストラを受けました。最後の最後まで、田中希代子田中希代子だった――そう思わずにはいられません。