最初の読者……か

最近『カラマーゾフの兄弟』や『赤と黒』の新訳をめぐる誤訳騒動が立て続けに起きていますが、これは決して偶然事だとは思えません。

何も亀山氏や野崎氏の語学力にイチャモンをつけるわけではありませんよ。わたしが云いたいのは、誤訳するのはたしかに訳者にも問題がないとはいえないでしょうが、「最初の読者」、すなわち編集者はどうしてそれに気付かなかったのか、ということです。

昔から「岩波文庫の訳は信用できる」という説が世に行われていましたが、それも、確かな訳者を選んでいるからというだけではなく、岩波の編集者が丁寧な仕事をしていたということでもあるのではないか、とわたしには思われてなりません。岩波や白水社の翻訳書担当ともなると語学力があって当然、原稿と原書か英訳を引き合わせるくらいのことはしていたのでしょう。

それにひきかえ――というのが、これらの誤訳騒動が象徴する昨今の状況ではないでしょうか。こう誤訳が頻出したというのも、原稿を見たって何を云うでもないバカな編集者相手なので訳者がどこかで気を抜いてしまったからではないか――と思われてくるくらい。

翻訳とは畑違いになりますが、許光俊氏が洋泉社新書の何だかで、チェリビダッケ/ミュンヘン・フィルのブルックナーの第八の演奏の前後を取り違えていたことがあります(EMI盤の方が後の録音と述べていたのですが、事実は所謂リスボン・ライヴの方が後の演奏に当たります)。許氏も許氏ですが、こういう単純な事実誤認に気が付かないようでは給料泥棒と云われても仕方ないでしょう。

もうひとつだけ。今度はジャン=リュック・タンゴーの『コルトー ティボー カザルス 夢のトリオの軌跡』の一節です(伊藤制子訳、ヤマハ)。

『……コルトーが一九四七年に他界するまで、表向きはクロティルド・ブレアルがコルトー夫人だったが、ピアニストの心のなかでは、ルネこそミューズだったのである』

勝手にコルトーを殺してやがる……(事実は、クロティルド・ブレアルが亡くなって、その後コルトーとルネ・シェーヌは再婚した)

いくら日本語としてスンナリ読めるからって、同書の後半には、一九五八年にコルトーとカザルスが共演するエピソードだって取り上げられているんだから、編集の方で訳し違いに気がつかなくちゃおかしいでしょう。La Voix de Son Maître(=HMV)を「巨匠の声」と直訳された日にゃ、これが音楽出版社の出してる翻訳書かよと思わずにはいられません。

最後に本題に戻ると、『赤と黒』問題で、光文社は「イチャモンつけるならアンタが訳してみい」と筋違いなことを抜かしよりましたが、全くもって言語道断。読者の身になって考えていたら絶対出てこない言葉というほかありません。寝言をほざく前にスカタン編集者どもを虎の穴に叩き落して鍛え直すことこそ、責任ある出版社のつとめというものではないでしょうか。