プシホダのシャコンヌ

ブッシュエネスコと聴いた流れで、ほかのヴァイオリニストの無伴奏をいくつか聴きました。その中でもとくに珍品の部類に入るのがプシホダのシャコンヌでしょう(PODIUM)。四十年代以降熱意をこめて取り組んだものの、ヨアヒム・ハルトナックからは「プシホダの片思い」と痛烈な一言で片付けられた彼の古典派レパートリーの一端ということになります。

一九四九年の演奏、というと全盛期ではないかもしれませんが、まだ腕を事故で故障する前のはず。例によってテクニックは冴えわたっていますし、音色も衰えを見せず色艶十分です。しかし、むかしはこの演奏好きでよく聴いていたのですが、今回ひさしぶりに聴いて「?」でした。

何が――って、カラヤンじゃあるまいし、というくらいベッタベタのレガート攻撃なのです。ちょっと聴く分にはじつに美しいのですが、五分経たずに飽きてしまいました。アクセントのないバッハってのはどうも困る、ということをあらためて確認させられた次第です。

せつないのは、このセンプレ・レガート、プシホダなりにかしこまって弾いた結果ああなってしまったフシがあることです。同じCDに収められた十八番のドヴォルザークでは、基本は流麗なレガート・スタイルを貫きながらもプシホダの弓はより自由で切れ味に富んでおり、大胆な歌いまわしがいちいちハマっていっそう生彩を増す――という好循環が成立しています。いっそソナチネを弾くような気持ちで、もっと肩の力を抜いてバッハを弾いてくれていたら、良い意味ですばらしく個性的な無伴奏になっていたような気がしてなりません。