アニー・フィッシャーのブランデンブルク協奏曲第五番

わたしが知らないだけか知れませんが、アニー・フィッシャーにはバッハを弾いた録音がほとんどなかったような気がします。バッハ=ブゾーニなんかさぞやすばらしく弾いただろうに、と思うのですが……

というわけで、わたしの知る限りで唯一の彼女のバッハ録音は、ハンガリー時代のクレンペラーと共演したブランデンブルク協奏曲第五番(HUNGAROTON)です。オケはブダペスト響、ヴァイオリンとフルートはおそらくそのメンバーでしょう(残念ながらあまりブリリアントなソリストではない)。ドライで力強いヴォックス時代のクレンペラーにしては温和な棒で、三人のソリストも突出せずアンサンブルに徹しています。二楽章など、これまたアニー・フィッシャーには珍しい合わせものの記録、ということになるでしょう(彼女の室内楽演奏をわたしは寡聞にして知りません)。

率直に申し上げると、クレンペラーを聴くのであればEMI盤にあたるべきでしょうし、ヴァイオリンとフルートがいかにも地味で、他の演奏をさしおいても聴くべきものとは思いません――ただし一楽章のカデンツァを除いては、です。

このカデンツァの凄さたるや、羊の皮をかなぐり捨てた狼の趣、さえあるでしょう。それまでおとなしく「おつきあい」していたフィッシャーが、溜まりに溜まったフラストレーションを解放するかのように激しく生命感をほとばしらせているのです。才気煥発たる切れ味の良いアクセント、それでいてよく流れる―ーというだけでは足りない奔流のような勢い。これだけしたい放題してもひたすら爽快で輝かしく、毫もやりすぎという感じがしないのはこのピアニストの生得の気品ゆえでしょう。この曲には他にも色々面白超絶演奏が目白押しですが、彼女のピアノはなかでも一際光っています。