エトヴィン・フィッシャーのブランデンブルク協奏曲第五番

マーラーが腕に指揮棒をくくりつけてチェンバロを弾きながらバッハの管弦楽組曲を指揮したとかいう故事も伝わりますが、バッハやモーツァルトの協奏曲を「弾き振り」する慣習を現代に復興せしめたのは何と云ってもエトヴィン・フィッシャーである、とされています。

フィッシャーがパイオニアたりえた所以は、指揮の腕前が素人の余芸の域をはるかに越えていたところにあるでしょう。彼の演奏には、だからこその強い説得力があるのです。近頃の専業指揮者よりよほど達者な棒(いわんやバの字をや)で、もしフィッシャーが生きているのが現代であればさぞや引く手あまたであったことでしょう。何しろ練習嫌いで有名な人だったので、それを幸いとピアノなんかちっとも弾かず棒振り稼業に忙しく励んでいたやもしれません。それじゃあいくら何でももったいない――彼の生まれたのがあの時代で良かったと思わずにはいられません。

それはさておき、フィッシャーはブランデンブルク協奏曲第五番も弾き振りで遺してくれました。有名なのはフィルハーモニア管を指揮した一九五二年のスタジオ録音(EMI)ですが、もうひとつ、ライヴの同曲異演があります。こちらは演奏年代も、オケもソリストもことごとく不明。ピアノを弾いているのがフィッシャーだということ以外は何も分からない謎の演奏。なにしろMUSIC & ARTSの六枚組セット『エトヴィン・フィッシャー 偉大なるピアニストの遺産』の曲目リストには、この曲の録音が収録されているとは一言も書かれていないのですから(ちなみに五枚目のCDの「六声のリチェルカーレ」のあとに入っています)。


当セットはウィーンのエトヴィン・フィッシャー・アルヒーフとの共同製作である云々とのことですが、もしかして、このブランデンブルクはリリース許可が下りなかったのをしらばっくれてCDにしてしまったとか……?(M&Aならやりかねない)

そんな氏素性のあやしさにもかかわらず、演奏は超特級品です。アンサンブルには温かみがあって、隅々まで親密な情感に満たされています。じつに自然でよく流れる歌の人なつっこい魅力。

カデンツァに関しては、確かに瑕がないとは云えないでしょう。しかしどうしても気になるほどとは思いません。スタジオ録音より格段に生き生きとした情熱あふれる演奏で、人の声が歌うように柔和で澄明なタッチも実演ならではの精彩にあふれています。

スタジオ録音は少しおとなしいし、アンサンブルの雰囲気もやや固いかな……と思うのですが、三楽章の短調に転じる部分などは繊細な翳りがうつくしく、ライヴとはまた違った味があるでしょう。さながら灰色の真珠のようにくぐもった艶を放つフィッシャーのピアニシモには、深い愁いに沈潜するかの趣が感じられます。