アドルフ・ブッシュのブランデンブルク協奏曲第五番

アドルフ・ブッシュの弾き振りしたバッハ(管弦楽組曲ブランデンブルク協奏曲の全曲)はメンバーが当時第一線で活躍していた名手揃いなことで知られていますが、コンチェルトの五番のソリストはブッシュとモイーズ、そしていつものゼルキンです(PEARL)。

さて、解説のタリー・ポッターがこんなことを書いています。


『……現代の≪正統的な≫演奏に慣れている聴き手には二、三の折衷的処理が気にかかるにちがいない。まずブッシュはチェンバロのことなど歯牙にかけず――ただし彼のために弁ずれば、実際当時のモダン・チェンバロはアクションがいかにも重ったるかったし、響きもガチャガチャと雑然たるものではあった――ゼルキンにベヒシュタインのピアノを弾かせることを好んだし、実際的見地から、第四協奏曲のフラウト・トラヴェルソはフルート、第一協奏曲のヴィオリーノ・ピッコロはブッシュのいつものストラディヴァリウスで弾かれている……』(大意)

たしかに気になります。というのも、歯切れが悪くイマイチ拍節感のないピアノが災いして、音楽が気持ちよく前に進んで行かないのです(特に一楽章)。

――といっても、通奏低音はすべからくチェンバロで弾くべしと思っているわけじゃあございませんよ。ピアノで弾いていても、エトヴィンとアニーの両フィッシャーやコルトーはピアノであることのハンディなど毛頭感じさせないすばらしい演奏を披露してくれているではありませんか。ピアノ自体に罪はありません。ゼルキンピアノを弾いているということが問題なのです。

とあるバロック・ヴァイオリン弾きが「誰もがホロヴィッツのように弾くことができるのなら、チェンバロスカルラッティを弾く必要はない」とか云ってましたね。わたしも同感です。ですが、通奏低音ゼルキンに任せるのであれば、いっそチェンバロでリズムをガチャガチャ刻んでもらった方がなんぼかマシだったでしょう。

勢い、仕方ないからヴァイオリンとフルートに集中して聴くべえか、となる次第。いつもより少し細身の音色で歌うブッシュと凛々しく丈高いモイーズの笛との緊張感ある間合いは、まさしく真剣勝負。深沈たる趣の二楽章ではゼルキンも健闘、大いに聴かせてくれました。