また芸術劇場

先週の金曜日はラン・ランの来日公演をテレビで見ました。あいにく帰宅が遅くなって、ドビュッシー前奏曲からになったのは残念。

バリバリ弾けるピアニストだというのはおぼろげながら聞き伝わっていたところですが、想像以上に腕の立つひとだなあと思いました。指がよく回るのは無論のこと、タッチのコントロールが異常なまでに入念かつ細かいのです。同じピアニシモでも幾通りにも弾き分けられており、デカい音を出さなくても弱音だけでじゅうぶん音楽に変化をつけることができるのではないでしょうか。弱音へのこだわりは殆どフェティッシュの域に達しており、若いピアニストでホロヴィッツが嫌いなヤツはいないと思いますが、突然織り込まれる「抜き」の最弱音攻撃を自分なりに取り入れようとしているあたり、聴いていて覚えずニヤリとしてしまいます。傑作は『月光の降り注ぐテラス』でしょう。この手数の多さは尋常ではありません――リストやワーグナーの音楽における爛熟した複雑な情趣はそれ自体で存在していたのではなく、技法の肥大化によって誘発されたものであるとのたもうたのはたしか吉田秀和翁だったと思いますが、その説に倣えば、この若いピアニストが自分の指にみちびかれてこれからどのような世界へと至るのか、きわめて興味深いものがあります。

そらあ、なにしろ若いだけあって音楽の完成度という点に関してはまだまだかもしれません。わざとらしい部分がないとは云えない(だから、録音で何度も繰り返して聴くには耐えないか知れません)し、面白いことは面白いんだけど面白さがまだ突き抜けきってないと申しましょうか――しかし、若い間はケレンも面白みのうちというもの。中途半端に出来上がってしまって、それ以上伸びしろがないよりかよほどマシですし、変にアタマで音楽を作っていないのでそれもさほど鼻につきません。本人は数年後にこの映像見たら恥ずかしくて真っ赤になるかもしれないけど、そんな経験もプラスにして、もっといいピアニストになってくれますように。

先日のドゥダメルのような輩が世間で大はやりしているようではいよいよ骨董レコードに埋没するほかなかろうと思いかけていたところに、この新鮮な驚き。いまこうして若い演奏家に将来を期待できることがうれしくてなりません。