コルトーのピアノ

シュナーベルといえばベヒシュタイン、ラザール・レヴィはエラール、ギーゼキングはグロトリアン、ボレットはボールドウィン……といった具合にピアニストの名がその愛器と強く結びついた例はあげるに事欠きませんが、わがコルトーの場合、それは云うまでもなくプレイエルです。

コルトーは専らプレイエルを愛奏し、遺された録音もプレイエルを弾いているものとわたしは思っていました――しかし、恐らくこれはわたしひとりに限ったハナシではなく、それこそ「コルトー=プレイエル神話」と仮に呼んでもおかしくないような厳然たる共通認識として世に広くおこなわれているような気がします。その一例として鈴木智博氏の『コルトーのレコード録音(IV)』中の一文を以下に掲げましょうか。


コルトーは占領下のパリで、アルベール・スタジオに於いてショパンの4作品の全曲録音を行っている。いずれの録音も、コルトーには珍しくスタインウェイのピアノが使用されている。……(下略)」

これを要するに、コルトースタインウェイのピアノを弾いているのは戦時下という特別な状況のしからしむるところであり、いつもはプレイエルを愛用していたものと氏は信じておられたように思われます(少なくともわたしはかく理解しました)。日本における斯道の権威たる鈴木氏の竜言ではありますし、実際あれらの戦中録音、コルトーにしては少しく枯れた感じのあるショパンは、弾いているピアノからして三十年代の艶麗きわまる名レコードと違うのではと思わせる体のものでした――

しかるに、近年ナクソスから復刻された一連のCDに附された Jonathan Summers の解説によると、少なくとも三十年代に集中的に録音されたショパンの多くはスタインウェイによる演奏で、プレイエルで弾かれた曲はごく一部(いま手許に資料がないのですが、確か前奏曲集がそうだとか……)に限られているのだそうです。一九三二年に録音されたフランクの『前奏曲、アリアと終曲』に至ってはブリュトナーで弾かれていたとのこと(これはAPR盤の解説による)。何とまあ、HMV盤と仏グラモフォン盤と、それぞれのエチュードやワルツは実のところ同じスタインウェイで演奏されていたというのです。

そう云われてみると、件のフランクは少し落ち着いた響きでいつものコルトーとは何となく違うような気がしないでもありません――が、ブリュトナーならではの特色、と云われてもわたしのポンコツな耳にはチンプンカンプンですし、もっと問題なことには、プレイエルスタインウェイの場合これがプレイエル、あれはスタインウェイと云われても違いがまるで分からなかったりします(笑)。

閑話休題――小林秀雄の音楽好きは周知のところですが、レコードで使用楽器を聴き分けられることを以て得意としていたそうで、フーベルマンはグァルネリウスだと断定していたとか。しかるにフーベルマンは実際のところストラド弾きだったような気が……(少なくとも世に名高きギブソンの盗難に遭うまでは)

他山の石とするに足ります。

ネットの音盤批評サイトにも使用楽器にこだわってこの演奏は何を弾いているだの何だのと大いに拘っておられる向きがありますが、そのような方々にお聞きしてみたいものです、コルトーの録音で使用されているピアノを正確に聴き分けておられたのか、否か。