コルトーの未発表録音(承前)

ここの続きです)

繰り返しになりますが、この演奏を聴く者にとって躓きの石となるのは、何といってもそのあまりにも特異なテンポ設定でしょう。このテンポの遅さたるや、ようやっと弾いている、という感じがするのは否みきれませんし、最盛期のコルトーであればこのようには弾かなかったであろう、とはわたしも思わぬでもないところです。

ですが、コルトーの後にそれまで親しく接してきた演奏を聴きますと、何としたことか、これがビックリするくらい淡白な、表情に乏しい音楽と感じられて仕方ありませなんだ。グレインジャーやリヒテルのような名手でさえも、スピード競争に気を取られたかしてどれほど多くの勘所をみすみす看過してしまったことか――そう思わせる毒(あえてそう申し上げておきましょう)が、コルトーの一見「崩れた」演奏にはあるのです。

先に触れた通り、第二ソナタは、シューマンとしてはコンパクトによくまとまった、しかしその分「シューマンらしさ」もいくらか薄い音楽――その辺が「学生向き」、もとい学生でも何とかなる、とされる所以でしょう――とみなされてきたように思いますし、わたしもまたそう決め込んでいたひとりなのですが、コルトーはこの音楽から、あやういコントラストを孕んだ、刻一刻と留まることなくうつろってゆく「気分」を見事にすくいあげているのです。わたしたちが一般に思い浮かべるこの曲の演奏像とはいかにもかけ離れていますので、さすがに最初は面食らいましたが、いったん先入観から解放されれば、この曲がそれまで思い込んでいたよりずっと味わい深く聴こえることに驚かされます。

ここで特筆しておきたいのは、テクニックの不如意から強いられたものと思われたこのゆったりしたテンポが、そのような問題と全く無関係ではないとしても、実によく考え抜かれたものであることです。*1テンポは遅いなりに全体を通じて一貫した脈絡が保たれており、テクニック的には「崩れ」ているかもしれませんが、音楽の構成としては決して破綻していないのです――二、三度と繰り返して聴くと、次第にそういったことが判然としてきます。

たとえば一楽章の第二主題ひとつを取ってみても、多くのピアニストが第一主題のスピードにつられるような恰好で至極あっさり弾いてしまいがちなこのテーマを、コルトーはきわめて表情ゆたかにうたい上げます。*2同じ楽章の展開部の最後でテンポ・アップして、第一主題の再現に至る運びの一瞬のためらい、豊かに広がる響きの空間性。この、悠然と見得を切る千両役者さながらの佇まいも、第一主題が猛スピードで弾かれていたらちょっと出てこなかったであろう味です。断じて、コルトーの、思いをどこかで深く噛みしめているような、あのテンポでなくては。

シューマンは「語り」の音楽であり、内容を正確に伝達するためには正しいテンポで弾かれることが重要である、ということをコルトーは語っていましたが、この第二ソナタにおいて彼が成し遂げたのは、端的にいってシューマン本来の「物語性」の回復であったとわたしは考えます――コルトーがフランクやベートーヴェンのようにしっかりした構成を有する作曲家を好んだことは夙に知られていますが、その演奏は必ずしも「動く建造物」としての音楽の抽象的な構築美を志向しているわけではなかったように思えます。蓋し、コルトーにとって構造とはすなわちドラマなのであり、ソナタ形式はその中の華でした。

以上、テンポについて専ら事とした関係から、「異形度」がもっとも高い一楽章についてばかり筆を費やしてしまいましたが、第二楽章の深い観入(ほんとうに淡々と弾いているだけなのですが、なんと美しいことか……)といい、フィナーレの第二主題の感慨深さ、それが一楽章の第二主題とどのように弾き分けられているかという表現の引出しの多さに至るまで、コルトーの円熟した芸を存分に堪能させてもらいました。なにしろピアノを弾いているのが当年取って七十七歳の老人なので、衰えがないとは云えませんが、その点については『風姿花伝』から「公案を極めたらん上手は、たとへ、能は下がるとも、花は残るべし」という一句を借りるとしましょう――この演奏には確かに「まことの花」があります。*3

*1:ブゾーニ門のエゴン・ペトリは堅牢なテクニックの持ち主であったものの、それでもちょっと指が追いつくか追いつかないかというような難所では――音楽的見地からではなく、あくまで技術上の配慮によって――テンポを落として弾いて、それがどうも安直な印象を与えた、ということをゲンリヒ・ネイガウスが語っていますが、コルトーはさすがにそのような愚を犯していません。

*2:かといってこれが、リヒテルのテンポで第一主題を弾き、第二主題はコルトーのように、というのではコントラストが極端にすぎて、音楽にまとまりがつかなくなるでしょう――とすると、リヒテルたちは第一主題を主調として採り、コルトーは第二主題――というよりは表現のコントラストと多様さに重きを置いた、と見ることもできるかと思います。

*3:この動画ファイルも音質はかなり上々で、コルトーの艶のある音色がなかなかに生々しく捉えられていました。聴衆ノイズがないのでスタジオ録音ではないかと思われるのですが、HMVかどこかがレコードにするつもりで録音したのか、はたまた放送録音だったのかなどは藪の中。文献ではあまり評判の良くない演奏なので(たとえば前年の一連のHMVレコーディングと比較しても)、CD化されることはなかなかないだろうと思っていたのですが、こうなってみると、もっと良いリマスタリングで聴いてみたいという思いがつのります。