コルトーのテクニックと「まことの花」(一)

SP録音の復刻CDのライナーノートには大抵「録音データ」が記載されていますが、新星堂の『アルフレッド・コルトーの遺産』シリーズの場合以下のようになっております。

Octover 27, 1926 (A 27347, DB 1145) *1

一見するとさながら暗号のごとしですが、一九二六年十月二十七日は当該録音がなされた日付で、DB 1145 とはオリジナルSPレコードの型番、そして A 27347 はマトリクス番号といいまして、レコード会社が手掛けた録音の原盤の通し番号です――さらに、CDによってはマトリクス番号が≪CVE 27347-4≫という具合に記載されており、これは四番目のテイクがレコード化されたことを示しています(釈迦に説法、でしたらどうかお許しを)。

わたしはオリジナル・レコードの収集家でも何でもないのでこれらのデータ記述にはそれほど興味を抱いていなかったのですが、先日、BIDDULPH からリリースされたコルトーのビクター・アコースティック録音全集のライナーノートを眺めていて、これらの録音が幾度となく繰り返された録り直しの末の、非常な労苦の産物であることを知りました。

一九一九年から二五年にかけてなされたこれらのレコーディングにおいては、テイク・ファイヴはざらで、ショパンのタランテラや木枯らしのような曲に至っては、ようやくOKが出たのは十番目のテイクでした(三回くらい弾いて、どれが良かったか比較してみるということはあったかもしれませんが、十回も二十回も弾いてその中でベスト・テイクを選ぶというような作業はいくらなんでも煩雑にすぎて現実的ではないでしょう。十度目に至ってようやく満足の行く録音ができたと推察するのが自然です)。

サンソン・フランソワの録音の殆どがファースト・テイクの一発録りであったとかいう話は人口に膾炙していますし、もうひとりの「ミスタッチの巨匠」シュナーベルにはレコーディング・スタジオで弾き直しを要求された際に「さっきより正確に弾くことはできるが、あれ以上に良く弾くことは出来ない」と言い放ったという逸話が伝わりますので、コルトーも彼らと同様神経質な完璧主義からは遠ざかっていたものと何とはなし思い込んでいたのですが、実際はかくのごとし――(以下、牛の涎の如く続く予定)

*1:ヘンデルの「調子の良い鍛冶屋」