コルトーのテクニックと「まことの花」(四)

現在はコルトーを代表する演奏群とみなされている一九三三年から翌年にかけてのショパン・レコーディングですが、同時代の評判は必ずしも無邪気な礼賛というわけには行かなかったようです。

先にちらと触れていますように、あらえびすは一九三三年から四年にかけて録音されたショパン前奏曲集を一九二六年の旧録音と比較して、コルトーは老け込んでしまったと嘆じていますし、野村光一はというと「旧い方が山があって面白いが、レコーディングが良いことと演奏が円熟していることから、新盤を採るのが妥当であろう」としているものの、バラード集(旧/一九二九年録音、新/一九三三年録音)に関しては「バラード集の旧盤は古い物としては中々録音が良いし、50代の最も脂の乗ったときのコルトーの演奏だけに、非常に華々しい力演であり、その後の新しいバラード集にはみられない緊張と迫力が窺える(ただし、いささかどぎついが)」と述べていました。*1音質上のアドヴァンテージ(いまとなっては五十歩百歩ですが……)がなかったとしたら、三十年代録音に対する彼らの筆はいっそうシビアなものとなっていたことでしょう。

しかし、仮に三十年代以降の録音がなかったとしたら、コルトーはこれほど論議の対象となるピアニストであったか、わたしには疑わしく思われます。「ルイ・ディエメの優れた門下生」のひとりとして、(たとえば)ロベール・ロルタと似たような歴史的立ち位置を占めるのみであったのでは。

それはもちろん、二十年代にもすぐれたレコードはたくさんあります。ティボー、カザルスと組んだトリオの録音は云うまでもないとして、シューマンの謝肉祭や交響的練習曲、ピアノ協奏曲の第二回録音はありとあらゆるピアニストによる同曲異演中の白眉ですし、フランクやドビュッシーの名演奏も忘れては不可ますまい。

ですが、ことショパンに限っては、わたしは三十年代の再録音により深い興趣を感じるのです――これがシューマンであれば、上掲の二十年代録音と三十年代の演奏(クライスレリアーナや蝶々、ダヴィッド同盟舞曲集、子供の情景、ピアノ協奏曲の第三回録音など)とのあいだに優劣はないと思いますし、コンチェルトなどはむしろ二十年代の方が出来が良いくらいなのですが。

(だんだん脱線してきたような気がするけどこのまま行きます)

*1:新星堂『アルフレッド・コルトーの遺産』第一集より孫引き