コルトーのテクニックと「まことの花」(五)

同じコルトーの演奏に対する彼我の印象の相違は、畢竟「どちらを先に聴いたか」によるのかもしれません。両野村翁は二十年代の演奏を通じて「コルトーショパン」に親しんでいたからこそ、再録音に接するに至って「彼や昔のかれならず」の嘆が大きかったのであり、そのような感慨は、三十年代の録音が刷り込み演奏となっているわたしには縁遠いものです。

しかしながら、同じ二十年代のレコードに限っていえば、ショパンよりシューマンのほうが出来が良かったということは確かでしょう。二十年代と三十年代のシューマンの間に質的な差異がさほど感じられないとは、早い時点でコルトーの解釈がひとつの完成に達していたことの謂です。

その点、当のコルトーにも思うところがあったのではないでしょうか――というのは、ピアノ協奏曲を除いてシューマンのレコードには二十年代と三十年代とで曲目のダブリがないのに対して、ショパンは、一九二六年のプレリュード集はさすがに録音が古いとしても、一九二八年の葬送ソナタ、一九二九年のバラード集、一九三一年の第三ソナタといったレコードがあるにもかかわらず、それらが悉く再録音されているのです。

当時のレコード会社はカタログの重複にきわめて神経質で、たとえば一九三五年、ブランデンブルク協奏曲の全曲演奏でフィレンツェバーゼル、ロンドンの聴衆の大喝采を博したアドルフ・ブッシュが余勢を駆ってレコーディングしようとしたところ、うちにはコルトーのレコード(一九三二年録音)があるのでお生憎様、とHMVは剣突を食わせたくらいだといいます。*1 その頃のことですからショパンとバッハとでは随分ポピュラリティーにも差があったと思いますが、それでも十年足らずの間にこれほど多くの曲を再度録り直すというのは余程のことといえましょう。

その間の事情は伝わらないので想像するほかありませんが、自らのショパンの旧録音に、謝肉祭や交響的練習曲に対するほどは満足していなかったからこその再録音ではないかという気がわたしにはします。

*1:そのために、HMVのアーティストであったブッシュはこの曲をコロンビアで録音しました。